
CONVERSE(コンバース)のALL STAR(オールスター)に並ぶ定番モデルのJACK PURCELL(ジャック・パーセル)その特徴的なデザインとベーシックな作りは永遠の定番モデルとして皆に愛されている。実はこのモデルには興味深い歴史がある。例えばジャック・パーセルは元々コンバース社が開発したモデルではないことをご存知だろうか?定番スニーカーも歴史や背景を知って「履く」「選ぶ」ことで一歩前に進めるのではないか?という観点から、今回はジャックパーセルについて徹底紹介!
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ジャック・パーセル(JACK PURCELL)とは?
現在NIKE(ナイキ)の傘下にあるCONVERSE(コンバース)社の代表的モデルとして人気のスニーカー。
1932年に当時A.G.SPALDING&BROSの名称で知られていたスポルディング社と、バドミントンでのチャンピオンとして人気を得ていたJOHN EDWARD JACK PURCELL(ジョン・エドワード・ジャック・パーセル)氏がバドミントン製品での製造を契約したことから誕生したことが原点だ。
ジョン・エドワード・ジャック・パーセル氏を登用した頭痛薬の広告 picclick
「ジャックパーセルはバドミントンシューズとして誕生した」という事実は、ぜひおさえておきたいポイントである。
JOHN EDWARD JACK PURCELL(ジョン・エドワード・ジャック・パーセル)氏とはどんな人物?
1903年にカナダにて生まれたバドミントン選手。1930年代にはバドミントンの世界王者として全ての大会で優勝し、1945年の選手生活が終わるまで一度も負けることが無かったという伝説を残した人物だ。1973年にはバドミントンを普及させることに大貢献した人物として、選手・コーチ等の関係者以外は対象にならないカナダオリンピックの殿堂入りを果たした異例がある。
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ジャックパーセルが誕生した1932年から”デザイン・ディテール”を比較しながら歴史を紐解く
ジャックパーセルの誕生当初、そしてコンバースの傘下に入った後のデザインやディテールなど、歴史に沿って実はジャックパーセルは変化を遂げている。
ジャックパーセルは1935年の段階ですでに原型が出来上がっていた
初期の1932年頃はスポルディング社が製造、開発も行っていたが1935年に更なる機能性向上の為、世界初の空気入り自動車用タイヤを発明したB.F.Ggoodrich(B・Fグッドリッチ)社にスニーカーの開発を依頼する。ここで現在下記画像のようなジャックパーセルの原型が出来上がっていたと言われている。この頃より「スマイル」と言われるつま先のラインが入ったデザインが採用されていた。
補足だが、当時タイヤメーカーがスニーカーを製造することは良くあることだったという。ダンロップなども現在スニーカーを発売していることから考えると納得出来る。
ジャックパーセルは歴史と共に”より丈夫でシンプルなデザイン”に進化
1930年代後半にはサイドに縫い付けられていた補強のための当て布が無くなり、ステッチのみの作りに。ビンテージ復刻モデルは当て布が再現されているので、見分けるポイントとして抑えられる。サイドにステッチのみがあるモデルは復刻がされていない為とても希少なモデルだ。
ジャックパーセルは1940年代で現代のモデルに非常に近いすっきりとした作りに。
微妙なシルエットや作りの善し悪しの違いはあれど、この段階でデザインのベースも完成している。長い歴史の中でもここまでデザインを保ってきていることは評価すべき点だろう。
ジャックパーセルは1950年代にB.F.Ggoodrich社が全ての権利を持つ
この時期にスポルディング社との契約が終わり今までは販売の権利はスポルディング社にあったが、これを機にB.F.Ggoodrich社が継続販売により全ての扱いを担うことになった。この年代のジャックパーセルの作りは非常に丁寧といわれており、マニアの間では人気が高いのも特徴だ。その作りのポイントも抑えていこう。
ジャックパーセル1950〜1970年代の特徴的ディテールを紹介!
この年代がいわゆるヴィンテージとして高く取引されているモデルだ。特徴としては、カカトにロゴが入る。サイドの通気口(ベンチレーション)がソールとアッパーのつなぎ目に乗っかっている。ソール裏のデザイン。の3点が注目出来るのでひとつずつ紹介。
ジャックパーセルのヴィンテージディテール 1 「ヒゲの有無から歴史を見る」
B.F.Ggoodrich社が販売まで行うようになってから、カカトにロゴのデザインを施すようになったと言われている。ここでジャックパーセルのデザインの特徴とも言える「ヒゲ」の有無が重要視されている。一体何年頃よりヒゲが採用されたのか?
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ジャックパーセルの「ヒゲ」の由来は、B.F.Ggoodrich社の独自技術「Posture Foundation(ポスチャーファンデーション)」
1933年にB.F.Ggoodrich社が独自に開発し特許を取得していた「Posture Foundation(ポスチャーファンデーション)」通称PFソールという、インソールの土踏まずにパットを施すことで高いクッション性と姿勢の安定をもたらす技術が「ヒゲ」のデザインの原点と言われている。この土踏まずだけ盛り上がった形状の断面図が発展してヒゲのデザインが生まれたのだ。
上から三番目のインソールの図は「ヒゲ」に近い形状をしている thehistorialist
ジャックパーセルのロゴにヒゲが付いたのはいつ頃か?当時の記事からはじまりを考察する。
では一体いつからヒゲのロゴが使われはじめたのだろうか。一般的にはB.F.Ggoodrich社が販売もはじめた1950年代と言われている。だが直下の画像を見てほしい。1969年に発行されたものだが「ヒゲ」が見当たらないのがわかる。そして二枚目は1972年当時の広告と言われているものだ。
1969年のJACK PURCELL(ジャックパーセル)の広告 thehistorialist
1972年のJACK PURCELL(ジャックパーセル)の広告 fourpins
見比べて頂ければわかるように、1972年より「ヒゲ」のマークが大々的に象徴されていることがわかる。他に1964年、1970年の広告についても「ヒゲ」のマークは見当たらなかった。その点を踏まえて考察すると、1972年に「ヒゲ」のマークが使われはじめた説と、もともと存在はしていたが1972年まではあまり宣伝していなかった説のどちらかの可能性があると筆者は考えている。
1964年のJACK PURCELL(ジャックパーセル)の広告 popscreen
1970年のJACK PURCELL(ジャックパーセル)の広告 defynewyork
ジャックパーセルのヴィンテージディテール 2 「通気口(ベンチレーションホール)」
特徴的ともいえる二つ目のポイントはサイド部分に施された通気性を良くする為の穴「ベンチレーションホール」だ。なにが特徴的かというと、最近のジャックパーセルはアッパー部分にこの仕様が見られるが、ビンテージモデルはソール部分に掛かる様に施されているのだ。次にご覧頂く画像は上がビンテージのモデルで下が最近のモデルだ。
ジャックパーセルのヴィンテージモデル rakuten
ジャックパーセルの 一般的なモデル 6pm
このベンチレーションホールがソールに掛かった仕様は、必ずしもビンテージに施されているわけではなく。アッパーに空いたものもあれば、逆にソールにだけ施されているものもある。当時のアバウトな製造の影響も関係していると思われるため、デザインのポイントとして抑えておく程度が良いだろう。
ジャックパーセルのビンテージディテール 3 「ソール裏の仕様の違い」
コンバースの傘下に入っていない当時は、ソール裏のデザインもB.F.Goodrich社だけのロゴのデザインが施されている。また現在一般的なモデルは「スラブソール」という表面が平らに近いものだが、70年代はそれに加えて「ヘリンボーンソール」という波型の溝が入ったデザインのものがあった。復刻モデルにはヘリンボーンソールを再現しているものも多い。次にご覧頂く画像は上がビンテージ、下が現行のモデルだ。
味のある作りのヴィンテージモデル rakuten
当時のディテールを再現した「ヘリンボーンソール」の現行復刻モデル。CONVERSEロゴが追加されている fngmagazine
1972年B.F.Goodrich社のシューズ部門がCONVERSE(コンバース)社の傘下に入る
1937年に「PF-FLYERS(ピーエフ・フライヤーズ)」というブランド名でB.F.Ggoodrich社よりシューズ部門が設立されていたが、それを含めたシューズ関連全ての製造販売権利を1972年にCONVERSE社に譲っている。だが当時アメリカのスニーカー市場で上位を占めていたブランドのCONVERSEとPF-FLYERSが合併することは、アメリカ独占禁止法に抵触すると指摘される。このことからジャックパーセルの製造販売権限のみを残して、PF-FLYERSの権限は他に売却されている。
1972年CONVERSEのロゴが入ったJACK PURCELL only-sneakers
コンバース社によって確立されていくジャックパーセル
ジャックパーセルを履くKurt Donald Cobain(カート・ドナルド・コバーン)氏
「グランジスタイル」という新たな流行を生み出したとも言われている、歴史上最も偉大なギタリスト・シンガーにも選ばれたアメリカを代表するミュージシャン。彼のダメージジーンズに合わせたジャックパーセルのスタイルは世間に影響を与えている。
Kurt Donald Cobainのモデルも2008年に発表されている。グランジスタイルを思わせる「汚れ加工」やサイドに施された彼のサインの刺繍など、彼のスタイルが詰まったモデルになっている。
ジャックパーセルを履くJames Byron Dean(ジェームス・バイロン・ディーン)氏
「エデンの東」や「理由なき反抗」でノミネート賞を獲得したことでも知られるアメリカの俳優。俳優として4年間という短い期間で亡くなってしまったことや、当時「理由なき反抗」の役柄によって若者へとても大きな影響を与えた人物。ジーンズとスニーカーのスタイルの変化に大きく貢献した人物としても有名だ。
ジャックパーセルを履くTerence Steven McQueen(テンレス・スティーブン・マックイーン)氏
キング・オブ・クール “The King of Cool”と言われるアメリカの代表的モデル。当時の「アンチヒーロー」の役柄が反響を呼び、トップ俳優にのぼりつめている。彼もジャックパーセルを愛用していたことで有名な一人だ。
ジャックパーセルの人気定番モデルを紹介
永遠の定番モデルとしても様々な素材を使ったものがあり、選択に迷うこともあるだろう。その中でも間違い無いモデルを紹介していく。
ジャックパーセルの代表的「レザー」モデル
trainerssaleonline
歴史を辿るとキャンパスモデルが原点だが、更にアップグレードされたレザーのアッパーによるデザインは、渋さや耐久性の向上による良いものを長く履く文化にとても適している。人気のモデルのため、一足持っておいて損は無いだろう。
ジャックパーセルの代表的モデル「白キャンパスモデル」
キャンパスモデルは永遠の定番モデルとして愛され続けるキャンパススニーカー。その中でもジャックパーセルの「白」のキャンパス素材は他に類をみない鮮やかな「白」を表現していることで有名だ。キャンパススニーカーを求めている方は是非検討してみることをお勧めする。
ジャックパーセルの代表的「スリッポン」モデル
hypebeast
最近人気を集めているモデル。シューレースも取り除かれたこのモデルはより洗練された印象を与え、デザインの特徴でもある「スマイル」と「ヒゲ」を上手に強調している。着脱のし易さも人気のポイントだろう。
ジャックパーセルの着こなし/コーディネートを紹介!
最後にジャックパーセルを使った着こなし事例を紹介!
ジャックパーセル×ミリタリージャケット×グレージーンズ
ミリタリーテイストの男らしさをアップグレードさせるジャックパーセルの組み合わせ。中にニットとシャツを重ねることによって野暮ったくみえない品のあるコーデに仕上がっている。
ジャックパーセル×ネイビースーツ
スーツにスニーカーを合わせた最近流行の組み合わせ。中の白シャツとジャックパーセルの特徴的な白の相性をよく理解したコーディネート。
ジャックパーセル×ダメージジーンズ×テーラージャケット
ジャックパーセルとダメージジーンズという当時のグランジスタイルを思わせる定番の組み合わせを、ダークトーンを混ぜながら上品にまとめている着こなし。
ジャックパーセル×デニム on デニム×オールブラック
上下にデニムを組み合わせる上級者な着こなしを、全体を黒のアイテムに統一することによって上品な男らしさを演出。足下をロールアップしたり、ピンやネックレスなどの小物を使うことによって重く見えがちな暗いトーンに軽さを出している。