数多あるエアマックスシリーズの中でも「エアマックス95」は最も大きな革命を起こしたモデルと言っても過言ではない。人体からインスピレーションを得た斬新なグラデーションアッパーデザインで社会現象まで起こしたこの一足は、発売から20年以上を経た今なお、リメイクモデルがリリースされるたびに絶大な人気を誇る。今回はナイキの「エアマックス95」にフォーカスし、その魅力と注目モデルを紹介!
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“見えるエア”という斬新なデザインで1987年に誕生した「エアマックス」
オレゴン大学の元陸上部だったフィル・ナイト氏が、1964年にオニツカタイガーの輸入販売業を始めたのがナイキのルーツ。象徴である「スウッシュ」のロゴを初めてデザインしたシューズを発売したのが1971年のこと。そしてその7年後の1978年、ソールに「エア」を注入したモデル「ナイキ テイルウインド」がエアマックスの原点となる。1987年、デザイナーのティンカー・ハットフィールド(TINKER HATFIELD)がパリにあるポンピドゥーセンターの「外から中の構造がみえている」という建築デザインからインスピレーションを受け、ビジブルエアを開発。エアが可視化できる「マックスエアクッショニング」と呼ばれるエアソールを搭載したエアマックスを発売した。エアが「見える」という斬新性やシンプルなデザインから、エアマックスは瞬く間に市場に大きな影響を与え、後継機種やリメイクモデルの登場によって現在まで続くナイキの看板シリーズとなったのである。
革新的なデザインでストリートに衝撃を与えたハイテクスニーカーの象徴「エアマックス95」
1995年に発売された「エアマックス95」は、エアシリーズで初めて前足部のエアまでも可視化された一足。当時ナイキ入社4年目だった若手デザイナーのセルジオ・ロザーノ(Sergio Lozano)が、人体解剖学の本からインスピレーションをうけ、ヒトの皮膚や筋肉、肋骨をイメージしてデザインを手がけた。グラデーションのアッパーやビジブルエア、近未来的な造形美で社会現象が起きるほどの人気を獲得。1990年代後半に訪れるハイテクスニーカーブームのきっかけとなる。現在でもリメイク・復刻モデルや特別モデルは高い人気で多くのヘッズが愛用している。まさに不朽の名作と呼ぶに相応しいスニーカーだ。
90年代当時の人気を物語る社会問題「エアマックス狩り」
これまでにない斬新なデザインで爆発的な人気を得たエアマックス95は、異常なほどのプレミアム価格が上乗せされることとなった。もちろん現在でも人気スニーカーにはプレ値がつくことも多いが、当時のエアマックス95は比べものにならないほどの高値がついていた。特に1995年から1998年にかけての3年間は生産が追いつかず、品薄状態が続いたことも価格の高騰に拍車をかけた。ピーク時には中古市場ですら十数万円、新品に至っては60万円程度の価格を点けたケースもあったとされている。そういった状況下から、ストリートでエアマックス95を履いた人物を襲撃、暴行して奪い取る事件が頻発。「エアマックス狩り」や「マックス狩り」としてニュースなどのメディアでもたびたび取り上げられ、社会問題と化した。
強奪されたエアマックス95はそのまま犯人が私物とするケースもあれば、横流しされるケースなどもありさまざま。強奪のようなエアマックス狩り以外にも、置き引きのような盗難や、偽物の販売も横行。特に偽造品販売はブランド価値を貶めるだけでなく、暴力団の資金源になるなど深刻な問題だった。現在ではある程度のプレ値は付くものの、当時のような異常な価格がつくことはない。「エアマックス狩り」はエアマックス95の当時の人気がうかがえる実話であり、このシューズを語るうえで切り離せないエピソードだ。
エアマックス95は直近のピッティウオモでも選ばれるほどの鉄板スニーカー
ドレススタイルを中心とした着こなしから、徐々にコーディネートのカジュアル化が目立っていたピッティウオモ。ここ数年では、カジュアルスタイルはもちろん、スーツやジャケパンの足元にスニーカーを合わせた着こなしが主流となってきている。そんな中で、安定して足元に選ばれているのがエアマックス95だ。他とは一線を画するその斬新なデザインは、着こなしのハズしとして抜群の効果を発揮。エアマックス95は、いまやスタイルを問わず選ばれ続けている鉄板スニーカーだ。
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