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アスリートからファッショニスタまで魅了するメーカー「アディダス(adidas)」の歴史
ドイツ人の兄弟が設立した靴メーカーがのちの「アディダス」と「プーマ」に
言わずとしれた世界的スポーツメーカーのアディダス。そのルーツは、100年以上前のドイツまでさかのぼる。1900年、バイエルン州ヘルツォーゲンアウラハという町で、アディダスの創始者であるアドルフ・ダスラー(Adolf Dassler)が靴職人の息子として誕生した。父の影響を受けたアドルフは、青年になると靴職人としての修行を始める。1920年に第一次世界大戦から帰還すると、母の洗濯室でスポーツシューズの生産をスタート。1924年には兄のルドルフ・ダスラー(Rudolf Dassler)が事業に加わり、ダスラー兄弟製靴工場(Gebrüder Dassler Schuhfabrik)を設立した。
靴職人として才能のあったアドルフが靴の製造を、営業センスに長けたルドルフが販売を担当し、ビジネスは順調にスタート。1928年のアムステルダムオリンピックや、1936年のベルリンオリンピックで彼らのシューズを履いたアスリートたちが次々と好成績を残したことをきっかけに、ダスラー兄弟の名は広く知られることとなった。第二次世界大戦前に年間20万足の靴を販売するほどの企業へと成長したのである。1930年代に入ると、アドルフ・ヒトラーが台頭。第二次世界大戦中のナチス政権下でビジネスを続けるためには、ナチスの党員である必要があった。ダスラー兄弟もナチ党に入党するが、このころから兄弟の溝を大きく広げていくこととなる。
靴職人だったアドルフがドイツ国防軍のブーツを生産するために残された一方で、ルドルフは徴兵され、のちにアメリカ軍の捕虜に。このとき置かれた環境の違いや政治思想の対立、経営面での意見の食い違いなどから二人の不和が加速。第二次世界大戦後も兄弟の反目はさらに進み、1948年にはとうとうダスラー兄弟製靴工場を解消することとなった。袂を分かったのち、アドルフは新たに会社を設立。自身の愛称であるアディ(Adi)に、名字の最初の3文字であるDasを組み合わせたメーカー「アディダス(adidas)」が誕生したのである。ちなみに兄のルドルフもRUDAというメーカーを設立。これが翌年、「プーマ(Puma)」となった。
熾烈な兄弟間競争を経て世界的なスポーツブランドに
アディダスとプーマに分かれたあと、兄弟間の争いはビジネス展開においても表面化ビジネス展開においても表面化することになる。デザインや商標などあらゆる問題を取り上げては訴訟を繰り返し、泥沼の訴訟合戦を展開した。活動拠点であるヘルツォーゲンアウラハでは、町の人々が他人の履いている靴を確認するため頭を傾けることから「首を曲げた町」と呼ばれるほどに。オリンピックやワールドカップではアスリートの争奪戦を繰り広げるなど、対立関係は2人の創業者がこの世を去るまで元に戻ることはなかった。
こうした逸話を残しながらも、アディダスは歴史に残る名作スニーカーを数多く開発している。1965年には、のちに「スタンスミス」となるテニスシューズが登場。その4年後には「スーパースター」がバスケットシューズとして開発された。2001年には「adidas Originals」の展開を開始。72年〜95年に使用されていたトレフォイルロゴを採用し、アーカイヴの復刻モデルや著名人とのコラボレートコレクションで人気を獲得している。




















