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バスケットシューズから始まり、今ではスニーカーの定番となったナイキ「エアフォース1」の歴史とは?
エアフォース1誕生「当時の最新機能を搭載したバスケットボールシューズとして登場」
エアフォース1が「ナイキエア」を搭載したバスケットボールシューズとして市場に登場したのは、1982年のこと。デザインを手がけたのはブルース・キルゴア(BRUCE KILGORE)氏。発売当初はハイカットモデルのみのラインナップで、それを追うかたちでローカットモデルが発売された。ヒールに備えたエアクッションや、アウトソールのピボットポイント、フィッティングを高めるためのアンクルストラップなど、この時点で前例のないさまざまな最新鋭の機能を搭載していた。
通称“エアフォース・ゼロ”と呼ばれる、白のアッパーにシルバーのスウッシュを配したハイカットの最初期モデルでは、甲のベンチレーションホールは当初存在しなかった。選手の要求から後に設けられることとなり、逆に言ってしまえば発表から大きな変更点はそれだけ。エアフォース1はナイキ初のバスケットシューズながら、すでに完成形と言えるほどのクオリティを誇っていたのだ。
エアフォース1の生産終了と復活「一度は生産終了するも、ファンからの熱烈な要望により復活したエアフォース1」
1986年に、エアフォース1の後継種であるエアフォース2が発売。それに伴いエアフォース1は生産終了となったものの、ストリートバスケットボールのシーンや一般ユーザーからの人気は根強く、復活を望む声が大きかった。ボルチモア地区にある3つのシューズショップ「チャーリー・ルドー・スポーツ」「ダウンタウン・ロッカールーム」「シンデレラ・シューズ」の3店舗は、ナイキ本社にエアフォース1の再発売を直訴。申し出を受けたナイキ本社は、1カラーあたり1200足販売することを条件に、この3店舗限定でエアフォース1の再発売を決定した。
のちに“3アミーゴズ”と呼ばれるようになるボルチモアの3店舗でエアフォース1が発売されるやいなや、噂を聞きつけたユーザーが殺到。東海岸からボルチモアまでエアフォース1を購入しに訪れるようになった。この人気を受け、1988年には最初のオリジナルモデルが復刻。そして1990年代からは、ボルチモア地区以外でも正式に再発売されることとなった。
エアフォース1の人気「バスケットシューズからストリートシューズの人気モデルとして定着」
エアクッションやアンクルストラップなどの機能性で、元々はハイテクスニーカーとして生まれたエアフォース1だが、1985年に「エア・ジョーダン」が登場。バスケットシューズとしてさらなる機能性を追求したエア・ジョーダンシリーズを筆頭にハイテクシューズが台頭したことにより、エアフォース1はバスケットボールシューズという位置づけから次第にストリートシューズへと定着した。中でもローカットモデルは着脱のしやすさや快適性から一般ユーザーに愛用されることとなり、ストリートシューズの代表格として人気に火がつく。1994年にはよりファッション性を重視し、ミッドカットモデルのエアフォース1もリリースされた。
コラボモデルやコンセプトモデルの展開で、その人気を確固たるものに
バスケットボールシューズとしての一面を持ちながら、ストリートカルチャーと密接な関係を築くことで多くのファンを獲得することとなったエアフォース1。2002年には、ヒップホップ・ミュージシャンのネリー(Nelly)が、エアフォース1にちなんだ曲「エア・フォース・ワンズ(Air Force Ones)」を発表し、ビルボードチャートのトップ3にランクインした。さらに多くのアーティストやファッションブランドとのコラボレーションモデル、コンセプトモデルを発表。ニューヨーク・アップタウンのアパレルショップが、エアフォース1トレンドの発信源となった。
素材も徐々にアップデートしていき、アンクルストラップがレザー素材になったほか、アッパーに用いる素材もキャンバスやパテント、ヌバックなどのさまざまなバリエーションが登場。近年ではウルトラソールやルナロン素材を搭載し軽量化したモデルや、アッパーにフライニットを用いたモデル、ミリタリーブーツから着想を得たモデルなど、快適性の他にトレンドを追求したモデルも数多く展開し、ストリートシューズを代表する一足として確立している。
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