最も売れたスニーカーとして、ギネス認定されたことでも知られるアディダスの名作スニーカー「スタン スミス」。スニーカー好きの方なら既にご存知かもしれないが、実はこのスニーカーの名前は偉業を成し遂げたプロのテニスプレーヤーからそのまま採用されている。今回はそんなギネス認定スニーカーのモデル名として採用された人物、スタン・スミス氏にフォーカス。スニーカーのモデル名として採用されることとなった経緯や人物像について紹介していく。
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スタン・スミス氏は、アディダスの名作スニーカー「STAN SMITH(スタンス ミス)」の由来となった人物
スタン・スミス氏は、1960年代後半から1970年代前半にかけて、アメリカを代表するプロテニス選手として活躍した人物だ。出身はアメリカのカリフォルニア州パサデナで、フルネームは“スタンレー・ロジャー・スミス”。シングルス、ダブルス問わず優秀な戦績を残し、約10年間の選手生活で通算100勝を挙げ、様々な大会で記録を残したことで1987年に国際テニス殿堂入りまで果たしている偉大な人物だ。また、彼は有名なテニスコーチとしても名が知られており、テニスを語る上でも外すことは出来ない。
スニーカー“STAN SMITH”のシュータンに描かれているのはスタン・スミス氏の似顔絵!
スタンスミスのスニーカーと言われて、多くの人がシンプルな白のレザースニーカーのフォルムとシュータンに描かれた似顔絵を思い浮かべるだろう。そのシュータンに描かれている人物こそ、スタン・スミス氏だ。このディテールはスタンスミスのスニーカーを語る上で外せないディテールのひとつ。初期モデルは「ひげあり」「七三分けのヘアスタイル」で精悍な印象に描かれていたが、現行モデルは「ひげなし」「横分けショートへア」で親しみやすい表情にチェンジされているなど、年代によって僅かにデザインが異なる点が男心をくすぐる。
余談だが、当時のスタン・スミス氏は“ちょび髭”がトレードマークとして知られていたという。現行モデルのシュータンの似顔絵が「ひげなし」なのは、6か月ほど髭を剃っていた時期があり、その頃の写真がアディダスに採用されたからなのだとか。
スニーカー“STAN SMITH”の原点はスタン・スミス氏が現役で愛用していたハイレットというテニスシューズにアリ!
前述したようにスタン・スミス氏がテニスプレーヤーとして偉大な実績を残したのが1960年代後半から1970年代前半に対して、正式にスタンスミスと命名されたスニーカーが発表されたのは1973年のこと。実はスタン・スミス氏が現役のテニスプレーヤーとして活躍しているほとんどの期間、彼は足元に自らの名が採用されたスニーカーを履く機会が無かった。では、スニーカーのスタンスミスが誕生するまでスタン・スミス氏が履いていたのは?
それは元々フランス人テニス選手ロバート・ハイレット氏のためにadidasがつくった“ハイレット”というシグネチャーモデル。1963年に行われたテニスの全仏大会におけるハイレット氏の活躍記念として、彼の名を冠してリリースされたモデルだ。そんなモデルをスタン・スミス氏が現役テニスプレーヤーとして1971年の全⽶オープン、翌年にウインブルドンで優勝を果たした際に愛用していたことから、アディダスはハイレット氏が引退するタイミングで1973年に同モデルを正式にスタンスミスに改名。以上のことから、スタンスミスの原点モデルは“ハイレット”として知られている。ちなみに、上の画像はウインブルドンでスタン・スミス氏が実際にハイレットを着用している姿を捉えたもの。
他にもスタンスミスには様々なエピソードが存在するため、気になる方は併せてこちらの記事もチェックしてみて欲しい↓