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モハメド・アリ。ヒップホップ誕生前からFLEXを体現した、世界一のビッグマウス【男前列伝】

モハメド・アリ。ヒップホップ誕生前からFLEXを体現した、世界一のビッグマウス【男前列伝】

世界一になる前に「俺が世界一だ」と宣言し、その言葉をレコードにまでしてしまった伝説のボクサーがいる。1963年、21歳のCassius Clay(カシアス・クレイ)だ。韻を踏みながら自分の強さを誇り、まだ戦ってもいない世界王者を挑発する。現代のヒップホップでいうFLEX(自分の実力や成功を堂々と誇示すること)にも通じる振る舞いだ。しかも翌年、本当に世界ヘビー級王者になってしまう。後にMuhammad Ali(モハメド・アリ)と名を改めるこの男は、いかにして大口を叩くことさえ武器に変え、世界を熱狂させたのか。[1][2]

1963年、21歳の大言壮語世界王者になる前に『俺が世界一だ』というレコードを出した

1963年8月、ニューヨークの録音スタジオに、タキシード姿の若いボクサーが立っていた。カシアス・クレイ。1960年のローマ五輪で金メダルを獲得した有望株とはいえ、まだ世界王者ではない。それなのにColumbia Records(コロムビア・レコード)が彼のために用意したアルバムのタイトルは、『I Am the Greatest!』。「俺が世界一だ!」という意味である。[1][2]中身も強烈だった。歌を中心とした作品ではなく、韻を踏んだ詩とコメディ、対戦相手への挑発を収めた音声アルバム。

通常の「トラック」は、ボクシングになぞらえて「ラウンド」と名付けられた。標的は当時の世界王者Sonny Liston(ソニー・リストン)。まだ対戦が決まる前から、クレイはレコードの中で王者を散々にやり込め、自分が勝つ筋書きを披露していた。[1]しかも、これは仲間内で録音した余興ではない。大手レコード会社から発売され、翌1964年にはグラミー賞のコメディ部門にノミネートされた。ボクサーとして世界一を目指す途中で、すでに言葉のエンターテイナーとして評価を得ていたのだ。[2]もっとも、アルバム制作にはコメディ作家Gary Belkin(ゲイリー・ベルキン)も参加しており、詩の執筆をどこまでクレイ自身が担ったかには異なる証言がある。[2]それでも、自分の顔と名前を表紙に掲げ、世界一ではない自分を「世界一」として売り出したことは変わらない。本人がリングで負ければ、そのレコードは大口を叩いて失敗した証拠にもなる。普通なら躊躇するところだろう。クレイは、そんな退路を自分から狭めるような宣伝を堂々とやってのけた。

ゴージャス・ジョージと水中写真のトリック嫌われれば、もっと客が集まる。悪役から盗んだスターの作り方

なぜクレイは、ここまで大口を叩くようになったのか。生まれつき自信家だっただけでは説明できない。1961年6月、19歳のクレイはラスベガスでプロレスラーのGorgeous George(ゴージャス・ジョージ)に出会っている。派手なガウンをまとい、相手を侮辱して観客のブーイングを浴びる人気レスラーだ。[3]アリが1969年にAP通信の取材で振り返ったところによれば、ジョージの試合には約1万3000人もの観客が集まっていた。試合後、クレイは彼と5分ほど話す。その際に教わったのは、勝つところを見たい客も、負けるところを見たい客も、結局は金を払って会場に来るという発想だった。[3]好かれるか嫌われるかより、見たいと思わせることが重要。若きクレイは、プロレスの悪役が使っていた興行術をボクシングへ持ち込んだ。ただし、発言の後には筋書きの決まっていない真剣勝負が待っている。挑発すればするほど、負けたときの格好悪さも増す。その危うさまで引き受けてこその芸だった。

さらに1961年、彼は写真家Flip Schulke(フリップ・シュルケ)を相手に、とんでもない仕掛けを成功させた。水の抵抗を使う秘密のトレーニングをしていると説明し、プールの底でファイティングポーズを取る姿を撮らせたのである。[4]後年、シュルケはアリ本人から種明かしをされた。水中練習は作り話。そもそも当時のクレイは泳げなかったという。写真家が水中撮影を得意とすることを知って、興味を引く話を考えたのだ。[4]
虚構の練習法を本物のように見せたことは、手放しで称賛できない。ただ、この逸話には19歳の青年の恐るべきメディア感覚が表れている。彼は写真を撮られるのを待っていたのではない。「撮らずにはいられない場面」を自分で用意していた。

 

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実際の試合でも、クレイは言葉を巧みに使った。1962年11月、元世界王者Archie Moore(アーチー・ムーア)に対して「4回で倒す」と韻を踏んで予告し、本当に4回TKO勝ちを収めている。[14]

翌1963年3月のDoug Jones(ダグ・ジョーンズ)戦では、KO予告を6回から4回へ変更。[15]しかし、相手を倒せず10回判定勝ちとなり、観客から激しいブーイングを浴びた。[20]

ところがクレイは後年、この騒動を振り返り、ゴージャス・ジョージ以上に敵を増やせたと考えていたことを明かしている。その観客たちも次の試合には金を払って見に来るはずだ、と。[16]予告が当たれば喝采を浴び、外れても注目が集まる。若きクレイは、ジョージから学んだ興行術をすっかり自分のものにしていたのだ。

1964年、ソニー・リストン戦ヒップホップより早くFLEXを実践し、言葉どおり世界一になった

この振る舞いが興味深いのは、ヒップホップとの接点だ。ヒップホップ文化の誕生を象徴する出来事として知られるのは、1973年8月11日、ニューヨーク・ブロンクスで開かれたDJ Kool Herc(DJクール・ハーク)らのパーティー。クレイのレコード発売は、それより約10年早い。[5]自分の実力や魅力を誇るFLEX、相手を言葉で攻撃するDISS。アリのライムを交えたトラッシュトークには、現代のラップバトルにも通じる要素がある。もちろん、アリがこうした表現を発明したわけではない。アフリカ系アメリカ人の口承文化には、韻を踏む自慢話や言葉の応酬という長い歴史がある。アリはその系譜にある自己表現を、テレビ時代のボクシングで広く知らしめた人物の一人だ。実際、2016年にアリが亡くなった際、Nas(ナズ)はAP通信に対して、アリはラッパーではなかったが最初のラップ・スーパースターだったと評した。Slick Rick(スリック・リック)も、アリのライムをラップ音楽の源流と結びつけて語っている。[6]Public Enemy(パブリック・エナミー)のChuck D(チャックD)は、韻だけでなく、マイクを握る姿や声のリズム、見せ方にまで影響を受けたと振り返る。[7]

大言壮語は、観客を集めるためだけのものではなかった。1964年2月24日付『Sports Illustrated』に掲載された本人名義の記事で、クレイは驚くべきことを明かしている。大口を叩けば叩くほど、自分自身もその言葉を信じるようになったというのだ。[16]自信があるから大口を叩くだけでなく、大口を叩くことで自信を深めていた。そして翌25日、22歳のクレイは、無敵と思われていた世界王者リストンと対戦する。
AP通信の当時の報道では、クレイの勝利に賭けた場合の配当は7対1という大穴扱い。記者たちもほぼ全員、王者が勝つと予想していた。[8]リストンはそれまで、前王者フロイド・パターソンを2度とも初回でKOしている。クレイは試合前から大騒ぎしていたが、そのパンチを受けるのは本人だ。言葉を売り物にする人間として、これほど逃げ場のない舞台もない。試合が始まると、クレイは持ち前のスピードで王者を翻弄。

第6ラウンド終了後、リストンは左肩の負傷を訴えて続行を断念した。新王者になったクレイは、記者たちへ向けて何度も「俺が世界一だ!」と叫び、予想を外したことを認めるよう迫った。[8]前年に発売したレコードでは「俺が世界一だ」。翌年、現実のリングでも世界一。自分の宣伝文句が、そのままスポーツ史に残る事実になった。世界王座獲得直後、クレイはイスラム教系の宗教団体Nation of Islam(ネーション・オブ・イスラム)への参加を公表した。そして1964年3月、指導者Elijah Muhammad(イライジャ・ムハンマド)から「モハメド・アリ」という新たな名前を授かる。アリ自身はそれまでの名前を「奴隷の名」と捉えており、旧名で呼び続ける報道陣に対して「俺の名前はモハメド・アリだ」と強く訴えた。[17][19]世界一という称号を実力で手に入れた男は、今度は自分の名前を世間に認めさせようとしたのである。

編集部 三井
今のように誰もがSNSで発信できる時代とは違い、当時は新聞やテレビに取り上げられることが知名度を高める近道。アリはメディアが報じたくなる言葉や場面を自ら作り出していました。今でいうセルフプロデュースの感覚を、60年以上前から持っていたということです。

1974年、キンシャサの奇跡スピードに頼らず、口と頭脳で世界王座を奪い返した

それからのアリの人生は、宣言したとおりに勝ち続けるだけの物語ではなかった。1967年、25歳のアリはベトナム戦争への徴兵に応じることを宗教上の信念から拒否。世界王座とボクシングのライセンスを失い、禁錮5年の判決を受けた。収監はされず、控訴を続け、1971年に連邦最高裁で有罪判決が覆される。リングに戻れたのは1970年のことだった。[9]徴兵拒否をどう評価するかは、戦争観や宗教観とも関わる。ここで見逃せないのは、アリが自らの選択によって、ボクサーとして最も充実するはずだった20代後半に長い空白を抱えた事実だ。

復帰後、1971年3月にJoe Frazier(ジョー・フレージャー)にプロ初黒星を喫し、1973年3月にはKen Norton(ケン・ノートン)にも敗れた。だが、同年9月の再戦でノートンに12回判定勝ち。1974年1月にはフレージャーとの再戦も12回判定で制し、かつて敗れた2人に雪辱を果たした。

こうして世界王座への再挑戦にこぎ着けた。[18]だが、1974年10月30日、32歳のアリを待ち受けていたのは40戦全勝、37KOの世界王者George Foreman(ジョージ・フォアマン)。しかもフレージャーとノートンを、ともに2ラウンド以内でKOした怪物だった。アリが勝てるという見方は少数派。舞台はアフリカ・ザイールのキンシャサである。[10]若い頃のアリなら、リングを動き回って相手をかわすところだろう。しかし、試合は途中からまるで違う展開を見せた。アリはロープ際に下がり、フォアマンにパンチを打たせ続けたのだ。後に「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれる戦法である。

意外にも、最初から計画していたわけではなかった。伝記作家Thomas Hauser(トーマス・ハウザー)は1989年、アリ本人とこの試合の映像を見返している。アリによれば、第1ラウンドに動き回った時点で自分の方が体力を消耗していると気づき、第2ラウンドからロープを使う戦い方へ切り替えたという。[10]そこで参考にしたのが、かつて自分が4回TKOで破ったアーチー・ムーアの戦法だった。若い選手の攻撃を巧みに防ぎ、相手が疲れたところで反撃する。12年前にKO予告を的中させた相手の技術が、世界王座奪還の大舞台で生かされたのだ。しかも、防御一辺倒ではない。相手のパンチを受け流しながら言葉で挑発し、もっと強く打ってみろと煽った。フォアマンが疲れ始めると、アリの反撃が増える。第8ラウンド、ついにフォアマンをKO。32歳のアリが世界王座を奪い返した。[10]若い頃の最大の武器だったスピードにしがみついていたら、この勝利はなかったかもしれない。大口は叩くが、戦い方は変えられる。しかも、ただ減らず口を叩いていたわけではない。リング上の言葉さえ、相手を消耗させるために使っていた。ビッグマウスの裏側には、したたかな勝負師がいたのである。

 

フレージャーとの確執、1996年の聖火世界一のビッグマウスが、何も語らず世界を沸かせた夜

とはいえ、アリのトラッシュトークが常に喝采に値したわけではない。最も深く傷つけた相手の一人が、宿敵フレージャーだった。アリが試合を禁じられていた時期、フレージャーは彼を金銭的にも支え、リング復帰を公に後押ししていた。それなのに対戦が近づくと、アリは彼を「アンクル・トム」と呼んで侮辱。1975年の第3戦前にはゴリラに例えて挑発した。フレージャーの息子は、父親に浴びせられた言葉のせいで学校でいじめられたと後年語っている。[11]同じ大言壮語でも、自分を大きく見せることと、他人を踏みにじることは違う。人種差別に対抗し、自分の名前と尊厳にこだわったアリが、別の黒人ボクサーの尊厳を傷つけていた。その矛盾を、ただの興行上の演出として片づけることはできない。2001年、アリはフレージャーへの侮辱を謝罪した。言うべきではなかった言葉を口にし、試合を盛り上げるつもりだったと認めたのである。フレージャーが謝罪を受け入れる意向を示したことも、当時の新聞に記録されている。[12]

そのアリが、何も語らず世界を沸かせた夜がある。1996年7月19日、アトランタ五輪の開会式に54歳のアリが最終聖火ランナーとして登場した。パーキンソン病による手の震えを抱えながらトーチを掲げ、聖火をつなぐ。その光景に、観客席では涙を流す人々もいた。[13]ところが、当のアリは歓声を素直には受け取れなかったらしい。妻Lonnie Ali(ロニー・アリ)が2026年に語った証言によれば、アリは観客が泣いているのを、自分の病気を気の毒に思ったからだと考えていたという。ロニーは、そうではない、人々はあなたの姿を見られたことを喜んでいたのだと伝えた。[13]これは妙に人間臭い話だ。若い頃、自分が世界一だと繰り返し宣言していた男が、年を重ねると、自分に向けられた喝采の大きさをつかみきれずにいた。1964年のクレイは記者たちへ向かって、自分が世界一だと叫んだ。32年後のアトランタでは、もう叫ぶ必要がなかった。あれほど言葉を武器にしてきた男が黙ってトーチを掲げ、世界中から大きな拍手を受けたのである。

 

この男をもっと知る一冊①『評伝モハメド・アリ アメリカで最も憎まれたチャンピオン』

Jonathan Eig(ジョナサン・アイグ)著、押野素子訳、岩波書店刊。関係者200人超への取材や新資料をもとに、栄光だけでなく、改名、徴兵拒否、衰えや人間的な矛盾にも踏み込んだ評伝。大言壮語の裏側にいた、複雑な一人の男をもっと知るための一冊だ。

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この男をもっと知る一冊②『モハメド・アリ その生と時代』

Thomas Hauser(トマス・ハウザー)著、小林勇次訳、東京書籍刊(1993年)。全742ページの単行本。アリへの取材を重ねた伝記作家による代表作で、世界王座への道から宿敵との死闘、晩年までを追う。1974年のフォアマン戦を本人と見返した著者だからこそ、リングの内側に迫る記述にも注目したい。

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参考文献

[1] Andscape「The Grammy-nominated Cassius Clay」 2016年6月8日
[2] HISTORY「Muhammad Ali: Boxing Legend … and 2-Time Grammy Nominee」 2021年9月20日公開、2025年5月27日更新
[3] CBS Sports「How Muhammad Ali’s fascination with pro wrestling fueled his career, inspired MMA」 2016年6月6日
[4] The Washington Post「His Eyes Saw the Prize Early」 2008年5月16日
[5] Smithsonian Magazine「How Hip-Hop Was Born 50 Years Ago at a Block Party in the Bronx」 2022年8月10日公開、2023年8月11日更新
[6] Associated Press「Jay Z, Eminem, Slick Rick and more remember Muhammad Ali」 2016年6月9日
[7] Andscape「Muhammad Ali: The original rapper」 2016年6月9日
[8] Associated Press「AP Was There: First heavyweight crown for ‘The Greatest’」 1964年の現場報道、2016年6月4日再掲載
[9] HISTORY「Muhammad Ali refuses Army induction」 2009年11月16日公開、2025年1月31日更新
[10] The Guardian「’I didn’t really plan it’: what Ali told me when we rewatched The Rumble in the Jungle」 2024年10月28日
[11] The Guardian「Still smokin’ over Ali but there’s no time for hatred now」 2008年11月11日
[12] The Washington Post「Never Too Late: Ali Apologizes to Frazier」 2001年3月15日
[13] The Atlanta Journal-Constitution「Looking back: How the 1996 torch relay launched Atlanta’s Olympics」 2026年9月29日
[14] TIME「Sport: Louisville Lip」 1962年11月23日
[15] The Harvard Crimson「Clay Vows to Canvas Jones in Fourth Round」 1963年3月13日
[16] Sports Illustrated「I’m a little special」 1964年2月24日掲載、2015年9月24日ウェブ再掲載
[17] Chicago Sun-Times「This week in history: ‘Don’t call me Cassius Clay’」 2021年1月21日
[18] The Guardian「Muhammad Ali: all of his 61 fights as a professional」 2016年6月5日
[19] PBS「Muhammad Ali: Round Two: What’s My Name? (1964-1970)」 2021年9月20日
[20] UPI/Medford Mail Tribune「Cassius Clay Gains Unpopular Decision」 1963年3月14日

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