
白Tシャツにデニム、サングラス。Triumph(トライアンフ)やPorsche(ポルシェ)を駆る姿まで、Steve McQueen(スティーブ・マックイーン)について「格好いい男だった」といまさら説明する必要はないだろう。1980年に50歳で世を去ってから半世紀近くが経った今も、その佇まいは男たちを惹きつけている。だが、人生を追うと、ルックスやファッションとは別の格好良さも見えてくる。14歳で更生施設へ送られ、海兵隊では営倉にも入った。とても自由に生きた男だが、受けた恩を忘れず、交わした約束には驚くほど律儀だった。義理や筋は決して曲げなかった。今回は「King of Cool」と呼ばれた男の、そんな生き方を追う。
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義理を通した男の原点14歳で送られたBoys Republic。ここから人生が変わり始めた
スティーブ・マックイーンの少年時代は、後年の華やかな姿とはほど遠い。父親は幼い頃に家庭を去り、母親との生活も安定しなかった。非行を重ね、1944年、14歳で裁判所から「incorrigible」、つまり手に負えない少年と判断され、カリフォルニア州チノ・ヒルズにあるBoys Republic(ボーイズ・リパブリック)へ送られた。そこで約18カ月を過ごしている。[1] ボーイズ・リパブリックを日本語で単純に「少年院」と訳すのは正確ではない。日本の読者には少年院に近い役割をイメージすると分かりやすいものの、公的な矯正施設ではなく、1907年に設立された民間・非営利の学校兼更生支援施設だ。現在も問題を抱える若者に教育や職業訓練、生活支援を提供している。[2] 創設当初から仕事と自治を教育の柱に据え、少年たち自身が共同体の運営に参加する仕組みを取り入れてきた。掲げるモットーは「Nothing Without Labor」。労働なくして何もなし、という考え方である。[3] マックイーン自身も後年、この施設が人生の方向を変え、自分を「男にしてくれた」と振り返った。[1] ただし、ここで品行方正な青年へ生まれ変わったわけではない。施設を出た後も船員や油田労働者などさまざまな仕事を渡り歩き、17歳になるとアメリカ海兵隊へ入隊する。そこでも簡単には組織の型へ収まらなかった。
海兵隊で見せた筋軍の規律からはみ出した。それでも仲間の命は見捨てなかった
1947年4月、17歳でアメリカ海兵隊へ入隊。映画なら、ここから規律を学び模範的な青年へ変わる物語になりそうだが、現実のマックイーンはそう単純ではなかった。1949年には休暇から戻らないAOL(Absent Over Leave)で2度処分を受け、2度目は30日間の営倉と90ドルの罰金を科されている。[4] 自由を好む気質は、軍隊に入った程度では消えなかった。しかし、その軍歴にはまったく違う顔も残る。北極圏での訓練中、戦車が氷を割って海へ落ちる事故が起きた際には、5人の海兵隊員を救助。その後はHarry S. Truman(ハリー・S・トルーマン)大統領の大統領専用ヨットを警護する任務にも就き、1950年に名誉除隊した。[5] 命令に忠実な兵士だった、という美談ではない。実際に規律を破り、営倉にも入っている。それでも仲間の命が危険にさらされた場面では身体が動いた。人から決められたルールには反発するが、自分の中にある「ここだけは外さない」という線には従う。そんなマックイーンの性格が早くも顔をのぞかせている。除隊後はGI Billを利用してニューヨークで演技を学び、Uta Hagen(ウタ・ハーゲン)の演技学校を経て、約2,000人の応募者から5人しか選ばれなかったActors Studioにも入った。[6]
写真:Shutterstock/アフロSteve McQueen, 1968 : FILM STILLS OF 1968, HOME, STEVE McQUEEN, PATIO IN 1968
1950年代後半から頭角を現し、1960年の『荒野の七人』、1963年の『大脱走』、1966年の『砲艦サンパブロ』、1968年の『華麗なる賭け』『ブリット』へ。『砲艦サンパブロ』ではアカデミー主演男優賞にもノミネートされ、世界的な映画スターへ上り詰めていく。[7]
1963 THE GREAT ESCAPE (1963) STEVE MCQUEEN
1963 THE GREAT ESCAPE (1963) STEVE MCQUEEN
好きなことにも筋を通す大スターの肩書きが通じない世界へ。本気で挑んだモータースポーツ
ハリウッドでは、スティーブ・マックイーンという名前自体が価値を持つようになった。しかし、本人が愛したモータースポーツでは名前だけで速く走ることはできない。クルマやバイクを集めて満足するのではなく、自ら競技へ出て、本職のライダーやレーサーと同じルールの中へ入っていった。その本気度がよく分かるのが、1964年のInternational Six Days Trial(インターナショナル・シックス・デイズ・トライアル)だ。マックイーンはBud Ekins(バド・イーキンズ)、Dave Ekins(デイブ・イーキンズ)、Cliff Coleman(クリフ・コールマン)らとアメリカのSilver Vaseチームを組み、トライアンフで東ドイツ大会に出場。撮影を終えると競技へ向けたトレーニングを始め、週末にはアマチュアレースへ参加し、平日にはイーキンズの店で競技中に必要となるタイヤ交換まで練習していた。[8] 本番では3日目に切れたチェーンを自ら修理して走り続けたものの、コース上へ入ってきた一般のオートバイを避けて転倒。トライアンフのフロントフォークを大きく損傷し、そこで競技を終えている。[9] 結果だけを見れば華々しい成功ではない。だからこそ、この話は面白い。映画スターであることは、この競技では完走さえ保証してくれなかった。それでも準備を重ね、同じスタートラインへ立った。好きなことを「スターの趣味」で終わらせず、肩書きが通用しない場所まで踏み込む。それがマックイーンの向き合い方だった。
セブリング12時間の23秒足を6カ所骨折。それでも走った理由は「約束したから」
その姿勢を象徴するレースが、1970年3月のSebring 12 Hours(セブリング12時間)である。大会のわずか2週間前、40歳のマックイーンはLake Elsinore(レイク・エルシノア)で行われたモトクロスで左足を負傷した。
セブリングへ姿を現したときは松葉杖をつき、左足にはギプス。本人はテレビ取材に「足は6カ所折れている」と答えている。それでも出場するため、ポルシェ 908/02のクラッチを操作できるよう左ペダルを短くし、靴底には滑り止めとしてサンドペーパーを貼った。棄権するつもりはなかったのか。マックイーンが残した答えは「I had given my word.」。約束したからだ。[10] Peter Revson(ピーター・レブソン)と交代しながら12時間を戦った2人は、より高出力な上位クラスのマシンを相手に終盤で総合首位へ浮上。最終ラップでMario Andretti(マリオ・アンドレッティ)のFerrari(フェラーリ)に逆転されたものの、12時間を走り切った差はわずか23秒。総合2位だった。[10] 骨折した足で走ったことだけなら、無茶を好むスターの武勇伝にもできる。しかし、このエピソードで印象に残るのは、その無茶を選んだ理由だ。「約束したから」。自由を愛した男が、一度交わした約束だけは破らなかった。
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『栄光のル・マン』レーサーとして知った“本物”を、映画にも持ち込んだ
マックイーンのモータースポーツへの熱は、サーキットの中だけでは収まらなかった。セブリングで総合2位に入った1970年、マックイーンはル・マン24時間への参戦と、そのレースを舞台にした映画制作も進めていた。本人は前年のF1世界王者Jackie Stewart(ジャッキー・スチュワート)とPorsche 917を駆って本戦へ出場し、その経験を自身の映画へ持ち込む構想を描いていた。しかし、保険会社の判断によって実戦への出場は断念することになる。[13] それでもマックイーンは、本物のレースを撮ることまで諦めなかった。自身の映画会社Solar Productions(ソーラー・プロダクションズ)は、マックイーン所有のPorsche 908にカメラを搭載し、Herbert Linge(ヘルベルト・リンゲ)とJonathan Williams(ジョナサン・ウィリアムズ)をドライバーに起用。実際の1970年ル・マン24時間を走りながらレース映像を収めた。映画本編の撮影でもレプリカではなく実車を使い、プロのレーシングドライバーたちを集めてレーススピードで走行シーンを撮影している。[14] 翌1971年に公開された『栄光のル・マン』には、こうして実際のレースで撮られた映像と、その後に撮影された走行シーンが織り交ぜられた。[15] マックイーンが目指したのは、ハリウッドから見たモータースポーツをそれらしく再現することではない。自分がレーサーとして知っている速度、緊張感、音、マシンの動きを、できる限りそのままスクリーンへ持ち込むことだった。好きなクルマを映画に登場させるというレベルを超えて、レースへの熱狂は映画の作り方にまで及んでいたのである。
The McQueen – Revson team finished second in the face, just 24 seconds behind winner Marie Andretti. McQueen drove a Porche Spyder 908 which he will drive in the Le Mans Race in June.
10 April 1970
Ref: B196_095082_4870
Date: 25.07.2005
Compulsory Credit: STARSTOCK/Photoshot
忘れなかった恩大スターになっても、14歳の自分がいた場所へ帰り続けた
映画界の頂点へ上り、レースでも本職と競った。その頃のマックイーンにとって、14歳で送られた更生施設など、触れずに生きていくこともできただろう。だが、ボーイズ・リパブリックとの関係はそこで終わらなかった。成功後も何度も施設を訪れ、かつて自分が暮らしたコテージの床に座って少年たちと何時間も話し、ビリヤードをした。大学へ進みたい若者のためには奨学金も設けている。[1] 映画界で多忙を極めていた時期にも訪問を続け、自分の友人や映画会社との人脈まで施設の支援に活用した。[11] ボーイズ・リパブリックが毎年展開するDella Robbia wreath(デラ・ロッビア・リース)のキャンペーンでは、1966年と1975年に名誉全国委員長も務めている。[12] 単発の寄付をして終わったわけではない。14歳のマックイーンは、この場所に「送られた」。成功した後のマックイーンは、自分の意思で何度も「戻った」。そして1980年11月7日に50歳で亡くなった際には、本人の意向として葬儀を行わず、花の代わりにボーイズ・リパブリックへ寄付するよう求められた。[6] 最後まで、この場所との縁を切らなかったのである。ルールには従わない。危険な遊びにも飛び込む。自分が行きたい方向へ進む。それでも、助けてもらった恩を忘れず、仲間が危険なら身体を張り、一度した約束には責任を持つ。スティーブ・マックイーンは、とても自由に生きた男だ。だが、義理や筋は決して曲げなかった。顔や服、クルマだけではなく、その生き方まで含めて、今も格好いいのである。
9577-04
スティーブ・マックイーンをもっと知る一冊①『マックイーン 最後のヒーロー』
William F. Nolan(ウィリアム・F・ノーラン)による伝記。少年時代から俳優としての成功、モータースポーツへの傾倒、複雑な私生活、晩年までを追った一冊だ。今回紹介した「男前」な逸話だけでなく、欠点や危うさも含めてマックイーンという人間を立体的に知りたいなら、まず手に取りたい。
スティーブ・マックイーンをもっと知る一冊②『マックイーンズマシンズ』
自動車ジャーナリストMatt Stone(マット・ストーン)が、マックイーンとクルマ、バイクの関係を掘り下げた一冊。映画の劇中車だけでなく、本人が所有した車両や競技歴までまとめられており、「クルマ好きのスター」では片づけられないモータースポーツへの熱量を追える。今回の記事の第3章、第4章をさらに深掘りしたい読者におすすめ。
参考文献
[1] Los Angeles Times「Circle of Hope for Troubled Youths」 2004年12月5日
[2] Boys Republic「About Boys Republic」
[3] Boys Republic「The Formation of a New Republic」
[4] U.S. National Archives「Steve McQueen’s Real-Life ‘Escape’」 2013年
[5] U.S. Department of Veterans Affairs「#VeteranOfTheDay Marine Corps Veteran Steve McQueen」 2023年1月10日
[6] Los Angeles Times「From the Archives: Actor Steve McQueen Dies in Juarez Hospital」 1980年11月8日
[7] Academy of Motion Picture Arts and Sciences「The 39th Academy Awards | 1967」
[8] Cycle World「Great Escapes」 2005年11月1日
[9] Cycle World「International Six Days Trial」 1964年11月1日
[10] Porsche Newsroom「McQ: The Man Who Called Himself Harvey Mushman」 2020年9月14日
[11] Boys Republic「Steve McQueen Car Show」
[12] Boys Republic「Wreath Chairpersons」
[13] Motor Sport Magazine「Continental Notes, May 1970」 1970年5月
[14] Motor Sport Magazine「Le Mans! Camera! Action!」 1999年6月
[15] Motor Sport Magazine「McQueen. One man and his movie」 2015年12月









































