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アーノルド・シュワルツェネッガー。夢を叶えるたび、もっと大きな夢を描いた男

アーノルド・シュワルツェネッガー。夢を叶えるたび、もっと大きな夢を描いた男

世界一のボディビルダー。ハリウッドを代表する映画スター。カリフォルニア州知事。どれかひとつでも人生を語り切れる肩書きだ。Arnold Schwarzenegger(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、それらをひとつずつ現実にしてきた。だが、この男の面白さは成功の数ではない。ひとつの夢を叶えるたび、そこで満足せず、もっと大きな未来を描いたことにある。オーストリアの小さな町からアメリカへ。筋肉の世界から映画へ。そしてスクリーンから政治へ。歳を重ねるにつれ、夢の中身も変わっていく。自分が何者になるかだけでなく、得たものを社会にどう返すかまで考えるようになった。

少年時代から描いていた人生のロードマップ世界一の肉体。その先に映画とアメリカまで見えていた

1947年、オーストリアのタールに生まれたシュワルツェネッガーは、10代でウェイトトレーニングにのめり込んだ。大きな転機になったのが、英国人ボディビルダーのReg Park(レグ・パーク)との出会いである。雑誌で目にしたパークは「ミスター・ユニバース」で頂点に立ち、その肉体を武器に映画『ヘラクレス』シリーズへ進出していた。後年シュワルツェネッガーは、彼の姿が自分の進むべき道を示す「road map」になったと振り返っている。ボディビルの王者になり、アメリカへ渡り、映画スターになる。まだオーストリアにいた少年の頭には、すでにそこまでの未来が見えていた。[1]

本人によれば、自分には子どもの頃から、実現したい未来を鮮明に思い描く力があったという。夢を見るだけではない。その姿へ近づくためなら、1日に何時間もトレーニングを続けることさえ苦痛ではなかった。20歳でミスター・ユニバースを制し、1968年にはアメリカへ移住。1970年からミスター・オリンピアを6連覇し、1980年の復帰優勝を含めて計7度の王座に就いた。[1][2] 世界一のボディビルダーになるという最初の夢は、20代のうちにほとんど現実になっている。

普通なら、そこで勝者として生きていく道もあっただろう。だが、シュワルツェネッガーにとってボディビルは人生の完成形ではなかった。少年時代から見ていた景色には、その先があったからだ。

『俳優には向かない』と言われた身体と訛りを武器に世界一になった場所を離れ、また初心者になった

ボディビルの世界では誰もが知る存在になっていたシュワルツェネッガーも、ハリウッドへ行けば新人だった。しかも、当時の俳優像から見れば異質な存在である。大きすぎる身体、強いオーストリア訛り、長く発音しづらい姓。エージェントたちからは、映画スターになるうえで不利な要素だと見られていた。[2]

それでも、そうした特徴を理由に俳優の夢を諦めることはなかった。演技や英語を学びながら、自分にしかない特徴が生きる役を探した。1982年の『Conan the Barbarian』で存在感を示し、1984年にはJames Cameron(ジェームズ・キャメロン)監督の『The Terminator』に出演。無機質な殺人機械という役柄では、巨大な身体も独特の発音も、ほかの俳優には代えがたい存在感へ変わった。その後、『Commando』『Predator』『Twins』『Total Recall』などヒット作を重ね、1991年の『Terminator 2: Judgment Day』公開時には、世界的な映画スターとしての地位を確立していた。[2]

興味深いのは、シュワルツェネッガーが成功する前から「映画に出られればいい」と考えていたわけではないことだ。2009年の南カリフォルニア大学卒業式では、ボディビルでも映画でも「number one」を目指していたと語っている。[3] 世界一のボディビルダーになった男が次に選んだのは、その実績だけで生きていくことではなく、自分が再び最下段から登らなければならない世界だった。

最初の夢を叶えても、少年時代に描いたロードマップはまだ途中だった。鍛え上げた肉体を映画へ持ち込み、映画で得た知名度をさらに次の挑戦へつなげる。過去の成功を勲章として飾るのではなく、次へ進むための足場に変えていった。

カリフォルニアからもらったものを返すため政治へ次の夢は、自分が成功することではなかった

ボディビルと映画で夢を叶えた後、シュワルツェネッガーはさらに意外な場所へ向かう。2003年、カリフォルニア州知事Gray Davis(グレイ・デイヴィス)のリコール選挙に、後任候補として出馬した。

政治家として初めて迎える選挙戦では、映画の撮影現場にはなかった洗礼も待っていた。同年9月、California State University, Long Beach(カリフォルニア州立大学ロングビーチ校)で演説へ向かう途中、群衆から投げられた卵が左肩を直撃。それでも歩みを止めず、汚れたジャケットを脱いでそのまま壇上へ向かった。その後「投げた奴は今度ベーコンもよこせ」と冗談で返している。[15]

政治を目指した理由を、本人は選挙戦で繰り返し語っている。1968年にカリフォルニアへ来たとき、自分にあったのは「大きな夢」だけだった。そこで映画のキャリアも、財産も、家族との生活も手に入れた。だから今度はカリフォルニアへ何かを返したい。2003年9月の演説では、それまで自分が設定してきた大きな目標の多くを達成してきたうえで、知事になるという目標について「これは自分より少し大きい」と表現している。[4]

同年10月7日のリコール選挙では、デイヴィス知事の解職が55.4%の賛成で成立。後任候補の投票でシュワルツェネッガーは48.6%を獲得し、第38代カリフォルニア州知事となった。[5] 当選翌日の記者会見でも、1968年に移民として渡って以来、カリフォルニアは自分に無限の機会を与え、「夢が現実になる場所」だったと話している。[6]

ここで、シュワルツェネッガーの夢は質を変えている。ボディビルでは、自分が世界一になること。映画では、自分が世界的なスターになること。しかし政治では、自分が何を手に入れるかではなく、すでに手に入れたものを何に使うかが目的になった。

2005年の敗北から変えた戦い方政治では、スターの成功法則が通用しなかった

ただし、政治家としての7年間を、ボディビルや映画と同じ「成功物語」で括ることはできない。2005年、シュワルツェネッガーは州議会や労働組合との対立を深め、自ら推進した4つの州民投票案がすべて否決された。スターとしての知名度と勢いで政治を動かそうとした戦略は、有権者にも議会にも通用しなかった。Los Angeles Timesは翌年、この敗北によって「有名人なら何でも売れる」という発想が崩れ、政治システムの中で相手と協働する必要を突きつけられたと分析している。[7]

そこから政治手法を変えた。民主党が多数を占める州議会との協調を強め、2006年には温室効果ガス排出量を2020年までに1990年水準へ戻すことを定めた「Global Warming Solutions Act of 2006」、通称AB 32に署名した。[8] 同年の知事選では55.9%を得て再選を果たしている。[9] 自分が努力すれば結果が返ってくるボディビルとも、自分の商品価値を磨けば道が開ける映画とも違う。政治では、自分ひとりの力だけでは夢を動かせないことを学ばされた。

成果だけが残ったわけでもない。特に財政運営は、本人も失敗を認めている。就任初期、約150億ドルを借り入れて累積した財政問題に対処した判断について、退任直前のインタビューで「間違いだった」と振り返った。環境政策や労災補償制度改革などは後に残ったが、財政赤字を解消するという大きな公約は果たせなかった。[10] 2010年12月のPublic Policy Institute of Californiaによる調査でも、知事としての仕事を支持した有権者は32%、不支持は61%だった。[11]

それでも、この挫折はシュワルツェネッガーの人生を考えるうえで外せない。何度も夢を現実にしてきた男が、自分の力だけではどうにもならない世界へ入り、負けた。その後に選んだのは、政治そのものから逃げることではなく、やり方を変えることだった。より大きな夢を追えば、自分の成功体験が通用しなくなる瞬間もある。そのとき過去の勝ち方に固執しないことも、彼が繰り返してきた「次へ進む」の一部だった。

世界一を目指した男が、最後に掲げた人生のルール成功の先でたどり着いた『役に立て』という答え

2009年、南カリフォルニア大学の卒業式で、シュワルツェネッガーは自身の経験から導いた「成功の6つのルール」を学生たちへ語った。自分を信じる。ルールを破る。失敗を恐れない。否定する声を無視する。徹底的に働く。そして最後に置いたのが「Give back」だった。自分だけが成功しても意味はない。社会や地域、国へ何かを返せというメッセージである。[3]

知事退任後も、その考えは続いている。2012年には南カリフォルニア大学と「USC Schwarzenegger Institute for State and Global Policy」を設立し、党派を越えた政策形成や環境、教育などに取り組んだ。[12] 2017年、University of Houston(ヒューストン大学)の卒業式では、自分を「self-made man」と呼ばないでほしいと話している。自分は一人でここまで来たのではなく、家族、教師、トレーニング仲間、映画関係者、アメリカという国を含め、多くの人から助けを受けた。だから、自分も誰かを助ける責任があるという考えだ。[13]

2023年に出版した『Be Useful: Seven Tools for Life』の題名も、父から繰り返し言われていた「Be useful, Arnold」という言葉に由来する。[14] 世界一の肉体を手に入れ、映画スターになり、州知事まで務めた男が、人生の後半で掲げた言葉は「もっと成功しろ」ではなく「役に立て」だった。

この男をもっと知る一冊①「少年時代からボディビル、映画、政治までを本人が振り返る」『Total Recall: My Unbelievably True Life Story』

シュワルツェネッガー自身が、オーストリアで過ごした少年時代、ボディビル、アメリカ移住、ハリウッド、カリフォルニア州知事時代までを振り返った自伝。本記事の軸でもある「未来を先に描き、そこへ向かって人生を組み立てる」という思考が、本人の視点から詳しく語られている。2012年にSimon & Schusterから刊行。英語版。

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この男をもっと知る一冊②「成功の先でたどり着いた7つの人生哲学」『Be Useful: Seven Tools for Life』

2023年に刊行されたシュワルツェネッガーの著書。明確なビジョンを持つこと、大きく考えること、徹底的に働くこと、状況に応じて方向転換すること、そして他者へ還元することなど、自身の人生を支えた7つの考え方をまとめている。今回の記事で描いた「夢を叶えるたび、もっと大きな夢を描く」という生き方を、本人自身の言葉から掘り下げたい人に向く一冊だ。英語版。

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参考文献

[1] CNN「Piers Morgan Tonight: Arnold Schwarzenegger Interview」 2012年10月2日
[2] Los Angeles Times「REAL HOLLYWOOD MUSCLE: No Star Makes More Money, Wields More Power or Has More Fun」 1991年8月4日
[3] University of Southern California「Hearing from the Governator」 2009年5月15日
[4] CNN「California Recall Campaign」 2003年9月24日
[5] California Secretary of State「October 7, 2003 Special Statewide Election Statement of Vote」
[6] CNN「Arnold Schwarzenegger Holds First Press Conference As Governor-Elect Of California」 2003年10月8日
[7] Los Angeles Times「From ashes of 2005 defeat, gov. rises to new role」 2006年11月8日
[8] California Legislature「Assembly Bill No. 32: California Global Warming Solutions Act of 2006」
[9] California Secretary of State「November 7, 2006 General Election Statement of Vote」
[10] Los Angeles Times「Schwarzenegger looks back on his seven years in Sacramento」 2011年1月1日
[11] Public Policy Institute of California「PPIC Statewide Survey: Californians and Their Government」 2010年12月
[12] USC Today「USC, Schwarzenegger establish institute focused on state and global policy」 2012年8月2日
[13] Arnold Schwarzenegger Official Website「Arnold Schwarzenegger’s 2017 University of Houston Commencement Address」
[14] Arnold Schwarzenegger Official Website「Be Useful. Seven Tools for Life.」 2023年4月18日
[15] Associated Press / CBS News「Arnold Egged; Davis Vows A Fight」 2003年9月4日

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