
24歳で世界王者になった男が、28歳でボクシングをやめた。それから10年間、試合はゼロ。牧師として生き、体重は300ポンド(約136kg)を超えた。それでも38歳でリングへ戻る。45歳になると、26歳の無敗王者をKOして世界王座に返り咲いた。George Foreman(ジョージ・フォアマン)である。しかも、この男の人生は世界王座奪還でも終わらない。リングの外では、自分の名を冠した調理家電が世界的ヒットとなり、ボクシング以上の金を稼いだ。若かった頃に戻ろうとするのではなく、年齢も身体も立場も変わった現在地から、次の勝ち方を組み立てる。そのたびに、人生を何度も輝かせた男の話だ。
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怪物フォアマン、最初の戴冠24歳、世界王者を2ラウンドで6度倒した
フォアマンは、プロ入りからわずか4年で世界王者まで駆け上がった。1968年、19歳でメキシコシティ五輪のヘビー級金メダルを獲得。翌1969年にプロへ転向すると、最初の37試合を全勝し、そのうち34勝をKOで飾った。[1]そして1973年1月22日。24歳のフォアマンは、世界ヘビー級王者Joe Frazier(ジョー・フレージャー)へ挑戦する。フレージャーは前年まで無敗で、アリにも初黒星を付けていた王者。それでも試合が始まると、力関係は一方的だった。1ラウンドに3度、2ラウンドにも3度。フォアマンはフレージャーを合計6度キャンバスへ送り、わずか2ラウンドで世界王座を奪取した。強打が入るたび、王者の身体が大きく揺れる。後に何度も語られるフォアマンの怪力は、この夜に世界へ知られることとなった。[1]五輪金メダル、プロ37連勝、そして24歳で世界王者。しかも王座を奪った方法が、前王者を2ラウンドで6度倒すというものだった。この頃のフォアマンに、「負ける男」というイメージを重ねる方が難しい。
「Rumble in the Jungle」から3年アリに王座を奪われ、28歳で本当にリングを去った
1974年10月30日、旧ザイールの首都キンシャサ。40戦40勝37KOの王者フォアマンを待っていたのが、32歳のアリだった。[1]若いフォアマンが猛烈なパンチを浴びせるのに対し、アリはロープ際で受け続ける。後に「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれる戦術だ。フォアマンが打ち疲れた8ラウンド、アリが反撃。右を受けたフォアマンはキャンバスへ倒れ、プロ41戦目で初黒星。世界王座も失った。[1]ただし、ここですぐ引退したわけではない。その後もフォアマンは戦い続け、1976年にはフレージャーとの再戦にも勝利している。しかし本人は後年、アリ戦以降は「アリに負けて怖くなったと思われたくない」という気持ちに縛られていたと振り返った。[2]転機は1977年3月17日。Jimmy Young(ジミー・ヤング)に12ラウンド判定で敗れた直後だった。控室で体調を崩したフォアマンは、本人の説明によれば死を意識するほどの宗教的体験を経験する。周囲には脱水症状によるものと考える者もいたが、フォアマン自身はこの出来事を人生の転換点と受け止めた。[2]28歳。まだ肉体的には十分戦える年齢で、フォアマンはリングを去った。
リングではなく説教壇に立った日々世界王者から牧師へ。10年間、公式戦はゼロ
引退後のフォアマンは、元王者の肩書きを使ってボクシング界に居座ったわけではない。ヒューストンで街頭説教を始め、やがて牧師となった。1980年代前半には、若者の居場所としてGeorge Foreman Youth and Community Center(ジョージ・フォアマン・ユース・アンド・コミュニティ・センター)を開設。ジムやボクシングリングを備え、かつて自分自身がそうだったような、行き場を失いかけた若者たちを受け入れた。[3]しかも、この10年間は「いつか戻る」ための充電期間ではなかった。フォアマンは公式戦に一度も出場せず、ボクサーとは別の人生を送った。説教をし、人と会い、誘われれば食事をする生活のなかで体重も増えていく。[4]だが、この10年間で変わったのは身体だけではなかった。若い頃のフォアマンは、無愛想で近寄りがたい王者として知られていた。リングを離れた彼が日々続けたのは、人前に立ち、言葉で人を惹きつけること。やがて笑顔で人と接し、冗談を飛ばす姿が新しいフォアマン像となっていく。若い頃のフォアマンを知る人ほど、その人懐っこさに驚いたはずだ。
305ポンドから始まった第二幕38歳、267ポンド(約121kg)でリングへ戻った
1980年代半ば、フォアマンの財政には余裕がなくなっていた。ユースセンターへ多額の資金を投じ、家族を養いながら活動を続けるには金が要る。本人が復帰を決めた理由として繰り返し語ったのも、センターを維持するための資金だった。[3]問題は体重だった。復帰を考え始めた頃、自宅で量った体重は305ポンド(約138kg)。現役時代の体つきからは大きく離れていた。そこから走り込みを始め、10年ぶりの実戦となる1987年3月9日のSteve Zouski(スティーブ・ゾウスキー)戦では267ポンド(約121kg)まで落とした。それでも1973年にフレージャーを倒した頃より約50ポンド(約23kg)重い。当時の報道でも太って遅く見えたと評されている。それでも4ラウンドで相手を止めた。[4][5]20代のフォアマンを再現する必要はなかった。足が遅くなったなら、大きな身体でプレッシャーをかける。運動量が落ちたなら、相手の攻撃を受け止めながら距離を詰める。そして、最後まで残った強烈な拳を当てる。復帰後のフォアマンは、若い頃と同じ戦い方に固執しなかった。38歳の身体で勝つために、戦い方そのものを作り替えていった。
敗戦で変わった周囲の見方24連勝の先で、42歳が28歳の王者と12ラウンド戦った
フォアマンは復帰後も勝ち続けた。1987年から24連勝。ただし、この数字だけを並べると話を美しくしすぎる。当時から対戦相手の水準を疑問視する声はあり、復帰は話題作りに過ぎないという見方も根強かった。[6]そうした見方を変えたのが、1991年4月19日のEvander Holyfield(イベンダー・ホリフィールド)戦だ。ホリフィールドは28歳の現役世界ヘビー級王者。フォアマンは42歳。試合前には、若く速い王者が老いた挑戦者を早いラウンドで仕留めるとの見方も少なくなかった。ところが、フォアマンは倒れない。ホリフィールドが高速のコンビネーションを浴びせても前へ出続け、逆に強烈なパンチを返す。最終12ラウンドまで立ち続けた末、判定で敗れたものの、ホリフィールド自身が試合後、これほど打ち込んでもフォアマンが倒れなかったことへ驚きを示した。[7]世界王者には届かなかった。それでも、この12ラウンドでフォアマンは「昔の名前で戦う元王者」から、再び世界王座を狙える現役ヘビー級へ変わった。判定は黒星だったが、12ラウンドを戦い抜いたことで、フォアマンの復帰を単なる話題作りとして片付けるのは難しくなった。
APRIL 19, 1991 – Boxing :
A photo from the fight between 28-year old world heavyweight champion Evander Holyfield and 42-year old George Foreman, age 42, a fight hyped as the Battle of the AgesE Although the April 19, 1991 fight at the Trump Plaza Casino in Atlantic City, New Jersey, was a win for Holyfield, Foreman was the sentimental favorite. It was Holyfield fight, but it was the Punching Preacher’s night and the older and 49 lbs heavier man came out with nothing but respect. (Photo by AFLO)
10ラウンド2分3秒の逆転45歳、19歳年下の無敗王者を右一発で沈めた
ホリフィールド戦から3年半。フォアマンは一直線に王座へ進んだわけではない。1993年にはTommy Morrison(トミー・モリソン)に判定負け。45歳を迎え、さすがに世界王座への道は終わったようにも見えた。それでも1994年11月5日、WBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーへの挑戦が決まる。モーラーは26歳、35戦全勝。フォアマンより19歳若い。[8]この夜、フォアマンは20年前のアリ戦で穿いた赤いベルベットのトランクスを再び身につけた。[10]序盤からポイントを重ねたのは若い王者だった。モーラーのジャブと右がフォアマンの顔へ入り続け、左目は大きく腫れる。9ラウンド終了時点で、2人のジャッジはモーラーを5ポイントリード、もう1人も1ポイント差でモーラーを支持していた。[9]だが10ラウンド、フォアマンは右を当て始める。残り1分を切ったところで左ジャブを差し、続けて右ストレート。モーラーの顎をまともに捉えた。王者は後方へ倒れ、起き上がれない。2分3秒、KO。
45歳10カ月。フォアマンは20年ぶりに世界ヘビー級王者へ返り咲いた。[8]20代のフォアマンなら、相手を最初から力でねじ伏せていた。45歳のフォアマンには、そんな速さも運動量もない。それでもパンチ力は残っている。ならば10ラウンドまで耐え、相手が自分の射程に入る瞬間を待つ。若さを取り戻したのではない。45歳の身体で世界王者を倒す方法を見つけたのだ。
NOVEMBER 5, 1994 – Boxing :
Heavyweight champion George Foreman, center, rejoices as referee Joe Cortez, right, signals him the winner after he knocked out Michael Moorer during the 10th round to capture the WBA and IBF heavyweight championship at the MGM Grand in Las Vegas, Saturday, Nov. 5, 1994. (AP Photo/Lennox McLendon)
怪物王者から、世界的ヒット商品の顔へリングの外でも桁違い。グリルで1億ドル超の契約へ
45歳で世界王者へ返り咲いた後、フォアマンはリングの外でも桁違いの成功を収める。George Foreman Grill(ジョージ・フォアマン・グリル)である。商品を開発したのはフォアマン本人ではない。傾斜したプレートから肉の脂を落とす電気式グリルが考案され、商品を売るための顔としてフォアマンへ話が持ち込まれた。当初、本人は小さな調理器具に乗り気ではなかったという。それでも改良された製品を試し、自分の名前を付けることに同意。1995年に市場へ投入された。[11]契約も豪快だった。最初から巨額の出演料を受け取ったわけではない。フォアマン側が受け取るのは、商品の利益の45%。売れなければ大きな金にはならない契約だった。ところが製品は爆発的にヒット。2000年までに1000万台以上を販売した。[11]1999年、製造元Salton(サルトン)はフォアマンとの契約を買い取る。フォアマンへ支払われた現金と株式は約1億3750万ドル規模。当時までに受け取っていた利益分配とは別の金額である。『Sports Illustrated』は、グリル事業によってフォアマンが得た金額は、ボクシングで稼いだ額を上回ったと報じている。[12]リング上では「怖い怪物」だった男が、今度は笑顔で肉を焼く家電の顔となり、世界中の家庭へ入っていった。フォアマンは2025年3月21日、76歳で死去。プロ戦績は81戦76勝5敗、68KO。五輪金メダリスト、2度の世界ヘビー級王者、牧師、青少年センターの運営者、そして巨大ヒット商品の広告塔まで、一人の人生に収めた。[13]20代では、相手を倒すことで世界一になった。40代では、若い王者を倒してもう一度世界一になった。そしてリングを降りた後は、笑顔と話術で自分の名前を世界中の家庭へ届けた。年齢も身体も立場も変わるたび、その時の自分で戦える場所を見つけ直した。それをリングの中でも外でもやってのけた男だった。
この男をもっと知る一冊①『By George: The Autobiography of George Foreman』
幼少期、1968年メキシコシティ五輪、フレージャー戦、アリとの「Rumble in the Jungle」、1977年の宗教的体験、牧師として過ごした10年間、そして45歳での世界王座奪還までをフォアマン自身が振り返った自伝。本稿で描いた「怪物だった第1次キャリア」と「笑う男へ変わった第2次キャリア」を、本人の視点からつなげて読める。英語版。
この男をもっと知る一冊②『Knockout Entrepreneur』
ボクシングではなく、フォアマンのビジネス人生へ踏み込む一冊。George Foreman Grillとの契約、商品の売り方、知名度を事業へ変える方法などを、本人の経験を軸にまとめている。45歳での戴冠で物語を終わらせず、その後なぜ広告塔としても成功できたのかを知りたい読者に薦めたい英語版の一冊だ。
参考文献
[1] The Washington Post「A Lean, Mean Boxing Machine」 2003年6月8日
[2] The Washington Post「The Coming of Age of George Foreman」 1989年7月16日
[3] The Washington Post「George Foreman, in the Lord’s Corner Now」 1995年5月30日
[4] The Washington Post「Fighter, Preacher, Big George」 1990年1月12日
[5] The Washington Post「Boxing」 1987年3月10日
[6] The Washington Post「Boxing Is Foreman’s Meal Ticket and He’s Just Eating It Up」 1991年2月9日
[7] Los Angeles Times「Holyfield Acts His Age, Wins」 1991年4月20日
[8] The Washington Post「Foreman Recaptures Past, Heavyweight Title」 1994年11月6日
[9] Los Angeles Times「It’s Not Good as Gold, It’s Better」 1994年11月6日
[10] Los Angeles Times「Foreman the Man of the Big Moment」 1994年11月7日
[11] The Washington Post「The Foreman Phenomenon」 2000年6月14日
[12] Sports Illustrated「George Foreman is fueled by a desire to never stop working-and earning」 2015年3月10日
[13] The Washington Post「George Foreman, champion boxer and ubiquitous entrepreneur, dies at 76」 2025年3月21日



























