世界5大時計ブランド、A.ランゲ&ゾーネ(A.Lange & Söhne)の魅力と定番モデルを紹介

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世界5大時計ブランド、A.ランゲ&ゾーネ(A.Lange & Söhne)の魅力と定番モデルを紹介

唯一スイス以外のブランドで世界5大ブランドに数えられる、A.ランゲ&ゾーネ。ドイツメーカーにして世界指折りのメーカーに食い込む理由は、独自の文字盤デザインやムーブメントの製造過程にある。今回は、A.ランゲ&ゾーネの魅力について紹介!alange-soehne

A.ランゲ&ゾーネとは

1845年創業のA.ランゲ&ゾーネ(A.Lange&Söhne)。ドイツの老舗時計メーカーで1920年代ごろまで最盛を極めるも、戦争の影響により約40年ものあいだ閉鎖を余儀なくされる。1994年、「ランゲ1」などのコレクションを発表し復活を遂げた。現在では、パテック・フィリップ(Patek Phileppe)、ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin)、オーデマ・ピゲ(Audemars Piguet)、ブレゲ(Breguet)と並び、世界5大ブランドとも称される。

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A.ランゲ&ゾーネの歴史

修業の旅で腕を磨き、ドイツの宮廷時計師として成功を収めた創業者

A.ランゲ&ゾーネの創業者、アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolph Lange)が時計製造の道に足を踏み入れたのは1830年のこと。ドイツの著名な時計師ヨハン・フリードリヒ・グートケス(Johann Friedrich Gutkaes)のもとで時計づくりを学んだ。

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左:ヨハン・クリスティアン・フリードリッヒ・グートケス(1785年-1845年)、右:アドルフ・ランゲ(1815年-1875年)

手先が器用で頭脳明晰だったアドルフは、1837年に時計製造技術のさらなる高みを目指し、修行の旅へと出る。フランス・パリでは天才時計師ルイ・ブレゲの弟子にあたるヨゼフ・タデウス・ヴィンネルが営むヨーロッパ屈指の時計工房に入門。パリのソルボンヌ大学で天文学や物理学を学びながら、工房の主任を務めるまでに至った。その後、イギリスやスイスにて最先端の技術を学び、1941年にドイツへと帰国。翌年には師であるグートケスの娘と結婚した。ザクセン公国の宮廷時計師となったグートケスとともに、ドレスデンの王宮時計棟内の工房にて時計制作に没頭。アドルフが3年間の修業の旅で得た技術や独自のアイデアは「旅の手帳」に記されており、今なおA.ランゲ&ゾーネのバイブルとして時計制作に活かされている。

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「旅の記録」には、数々の表や設計図、メカニズム、計算などが丁寧に記されており、アドルフ・ランゲがいかに貪欲に新たな時計技術の研究に取り組んでいたかが窺える。

ドイツのエルツ山地に時計産業を根付かせたA.ランゲ&ゾーネ

宮廷時計師として成功を収めたアドルフ・ランゲは、鉱山の廃坑によって貧しい状況にあったエルツ山地の山村に工房を設立することを考える。それは、優れた人格者であったアドルフの責任感でもあり、時計製造の中心だったスイスやイギリスに対抗するという時計師としての義務感でもあった。1845年、ザクセン公国内務省から商人を得たアドルフは、ドレスデンからエルツ山地グラスヒュッテへと移住し、15人の若者とともに工房を創設。これがA.ランゲ&ゾーネ誕生の瞬間であった。一時は家財を投げ打っても賄えないほどの危機にも貧するが、やがて技術を磨いた時計師たちがそれぞれ部品専門工房として独立するにまで成長。さびれた貧しい山村は、A.ランゲ&ゾーネを中心とする精密時計産業地帯へと変貌を遂げたのだ。

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東西冷戦の影響でブランドが消滅

1846年には現在でもA.ランゲ&ゾーネのムーブメントの大きな特色である4分の3プレートを開発。さらに1863年にはハートカムを備えたクロノグラフ懐中時計を手がけるなど、製造技術において時計先進国のスイスに負けない力を持っていた。1868年には息子のリヒャルト・ランゲを共同経営者に迎え、後進の育成に励む。このときから工房の名称を現在の「A.ランゲ&ゾーネ(アドルフ・ランゲと息子たち)」へと変更した。アドルフの死後も息子や孫たちへと技術は受け継がれたが、ナチス政権や第二次世界大戦、戦後の占領などがこの時計メーカーの運命を翻弄することとなる。終戦前夜には空襲の直撃によって本社社屋が破壊。さらに1948年、エルツ山地の工房はソビエト占領下の東ドイツ区内にあったため国営化されてしまう。これにより、A.ランゲ&ゾーネのブランドは消滅した。

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ブランド再興から急速にトップメーカーへ発展

西ドイツへと逃れていた4代目経営者のウォルター・ランゲ。1989年のベルリンの壁崩壊で東西統一が果たされると、ようやく故郷へ戻ることが許された。そして、創業者アドルフの曾孫にあたるウォルター・ランゲは66歳にしてブランドの再興を目指す。1994年に満を持して発表された新生ランゲのコレクションは「ランゲ1」「サクソニア」、「トゥールビヨン」、「プール・ル・メリット」、「アーケード」。独創的かつ伝統を感じる技術で彩られた文字盤で、強烈な印象を残す復活を遂げたのだった。2001年には空襲で破壊された本社工房が復帰。2015年には隣接する場所に最新技術を備えた新工場も設立した。再興からわずか20年足らずで、世界5大ブランドに数えられるほどのメーカーへと成長したのだ。

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「ランゲ1」のプレートに手をかける、一番左に立つ男性がウォルター・ランゲ氏(1994)

象徴的な文字盤でA.ランゲ&ゾーネのアイコンを担う「ランゲ1」

新生ランゲのファーストコレクションにして、現在もアイコン的モデルに位置づけされている「ランゲ1」。時分、秒、日付、曜日、全ての表示を一切重ねない「オフセンターダイヤル」が最大の特徴である。各表示の大きさや位置は黄金比に基づいており、完璧なバランスで配置されている。

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カレンダー表示は、A.ランゲ&ゾーネが特許を取得した独自機構の「アウトサイズデイト」。日付の数字を「10」の位と「1」の位を分けて表示させることにより、従来よりも高い視認性を実現。

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ムーンフェイズやワールドタイマー、トゥールビヨンにパーペチュアルカレンダーなどモデルによって様々な機構が搭載されるが、ベーツとなる文字盤レイアウトは一切変更せず、ひと目でA.ランゲ&ゾーネのそれと分かるアイコニックな存在感を発揮している。

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「ランゲ1・トゥールビヨン・パーペチュアルカレンダー “ハンドヴェルクスクンスト”」

A.ランゲ&ゾーネの王道ドレスウォッチ「サクソニア」

ランゲ1と同じく再興時に発表されたコレクションで、A.ランゲ&ゾーネのルーツであるザクセン州を意味する「サクソニア」。バーインデックスのシンプルなデザインで、王道ドレスウォッチの風格を持つ。カレンダー調整が年に一度のみのアニュアルカレンダーモデルや2つ目のデュアルタイムモデルなどがあるが、6時位置にスモールセコンドを備えたモデルが最も象徴的。

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中にはケースの厚さがわずか5.9mmの超薄型モデルも。ちなみにA.ランゲ&ゾーネの腕時計は、どのコレクションもゴールドとプラチナしか用いない。最高峰のブランドとして決してぶれないコンセプトを持っていることもA.ランゲ&ゾーネの魅力のひとつだ。

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「サクソニア・フラッハ」

A.ランゲ&ゾーネの創業者が愛したデザイン「1815」

創業者アドルフ・ランゲが誕生した年をコレクション名に冠した「1815」。どのモデルも共通してアラビア数字のインデックスを採用しており、クラシックな印象。レイルウェイ仕様の外周やブルースティールの針は、アドルフ・ランゲが好んで採用していたデザイン。

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日付表示機構を備える最上位モデルは、ミニッツリピーター、永久カレンダー、スプリットセコンドクロノグラフと3つの複雑機能を同時に搭載。年間生産数1本で、世界限定6本のみ。価格は2億円を越える。

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「グランド・コンプリケーション」

A.ランゲ&ゾーネの時計製造

自社一貫製造のマニュファクチュールとしても名高いA.ランゲ&ゾーネ。ムーブメントを構成する部品に至るまで自社で製造しており、地板や受け、レバー、バネ、歯車、カナなどのもととなるパーツまで制作する。特に、ひげゼンマイを自社で手がけるメーカーは世界中を見渡しても数えるほどだが、A.ランゲ&ゾーネはドイツブランドの中でもいちはやく自社製造に着手した。

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ひとつのモデルに対しひとつの専用ムーブメントを作るのが特徴のA.ランゲ&ゾーネ。たとえば「ランゲ1」のベーシックモデルには、耐久性が高くアウトサイズデイトを瞬転させる「Cal.L121.1」を、「サクソニア」には高い審美性を持つ丸型ムーブメント「Cal.L941.1」を採用する。
これらのムーブメントは、数百個もの部品から構成。ひとつひとつの部品で最高の精度を追求しており、技術者たちは部品製造時の誤差が極めて少ない最新型のフライス盤やワイヤ放電加工機を使用して行う。

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わずかなホコリも許さないA.ランゲ&ゾーネの”二度組方式”

A.ランゲ&ゾーネの製造方針である「二度組方式」。香箱や脱進機、テンプやアンクルなどムーブメントを組み立て、ダイヤルやリューズの向きを調整し、アウトサイズデイトやパーペチュアルカレンダーなどの機構の設定と調整を行う。
普通なら、ここからムーブメントをケースに収納する作業へ進むところだが、A.ランゲ&ゾーネは違う。一旦完成したムーブメントをもう一度分解し、洗浄。そして各部品に表面仕上げと緻密な装飾を施すのだ。どれだけ細心の注意を払ってムーブメントを組み立てたとしても、調整時にはわずかな傷がついたり、小さなゴミが入ってしまう可能性を排除できないというのがA.ランゲ&ゾーネの考え。複雑機構のコンプリケーションモデルならともかく、シースルーバック仕様ではないモデルを含むすべてのムーブメントに対して二度組みを行っているのは高級腕時計の世界でも他に類を見ない。一流ブランドにもかかわらず、A.ランゲ&ゾーネが年間に生産する時計は数千本のみ。これは、”量”ではなく一本一本の腕時計に対してとことん”質”を追求するからこその数字である。

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新マニュファクチュールの完成によりA.ランゲ&ゾーネの時計品質はさらなる高みへ

1994年の再興コレクションを発表していこう、急速に発展していったA.ランゲ&ゾーネ。しかし、当時はその成長スピードに生産環境が追いついていなかった。2001年には消失した本社アトリエが再建されたが、それでも200名にのぼる時計師にはあまりにも手狭。しかし、創業170周年を迎えた2015年、ついに新ファクトリーを設立。完成式典にはメルケル首相も駆けつけた。

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左から、4代目ウォルター・ランゲ氏、メルケル首相、スタニスラフ・ティリッシュザクセン州知事、現A.ランゲ&ゾーネ本社CEOヴィルヘルム・シュミット氏

元々5つの工場に分かれることを余儀なくされていた製造部隊は、新ファクトリーに集約。最新の工作機械と広大な作業スペースが確保された。もちろんこれらの設備は時計を量産するためではなく、より品質の安全性を向上させるためのもの。空調設備もホコリやゴミが舞わない最新式のものが導入され、一年を通して工房内の室温を適温に保つクリーンエネルギーで稼働している。

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左側の建物が新ファクトリー。渡り廊下で繋がった右側の建物が、1873年に創業者が建築した本社工房。従業員からは現在も「母屋」と呼ばれ親しまれる。

A.ランゲ&ゾーネの定番モデルを紹介

A.ランゲ&ゾーネ「グランド・ランゲ1 (Grand Lange1)」

名作ランゲ1を現代的にひと回り大きくした「グランド・ランゲ1」。各表示の配置が重なり合うことのないオフセンターレイアウトはそのままで、視認性を向上。黄金比に基づいた美しさもキープされている。

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A.ランゲ&ゾーネ「サクソニア・フラッハ(Saxonia Thin)」

バーインデックスによるシンプルなデザインのサクソニアの中でも、スモールセコンドを排した最もミニマルなモデル「サクソニア・フラッハ」。厚さ5.9mmの極薄ボディで高級感がより際立っているドレスウォッチ。

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A.ランゲ&ゾーネ「1815」

A.ランゲ&ゾーネ創業者にしてザクセンの時計産業の父、アドルフ・ランゲ誕生の年にオマージュを捧げた「1815」。クラシックなアラビアンインデックスにブルースティールの針が贅沢に輝く。シースルーバックの裏蓋から鑑賞できる精巧なムーブメントの造形美も秀逸。

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