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The Rowの流行は問いである。ロゴを卒業した男が向かう先とは?

Quiet Luxuryが映すラグジュアリーの地殻変動もうロゴでアピールするのはダサい!?

過剰なロゴの氾濫は、ラグジュアリーを“記号の競争”へと変えた。しかしSNSの飽和とともに、ブランドを誇示すること自体が古く見える時代が来た。とりわけその変化を敏感に察知しているのが若い世代だ。Z世代やミレニアル世代にとって、“見せびらかすおしゃれ”はもはや時代遅れであり、「ロゴで飾る」より「自分の審美眼で選ぶ」ことの方がずっと洗練されている。The Row(ザ・ロウ)のようなブランドに触手を伸ばし、“本物を知る”という知的な憧れを抱いているのだ。

『The State of Fashion 2024』(McKinsey & Business of Fashion)によれば、世界のラグジュアリー市場の成長率は2023年の8〜10%から、2024年は2〜4%へ鈍化。主因は中国市場の回復遅れと欧米中間層の購買意欲の低下にあるとされる。一方でブランド側は、価格改定によって収益を下支えしており、数量ベースでは成長が鈍化しているにもかかわらず、売上規模を維持している。つまり、消費者の広がりではなく、単価上昇が市場を支えている構図だ。マクロ的には鈍化しているが、富裕層中心に購買は続いている。その富裕層が選んでいるのが、“Quiet Luxury(クワイエット・ラグジュアリー)”だ。The Rowは建築的な構造美で「設計の静けさ」を体現する。

Loro Piana(ロロ・ピアーナ)は素材の純度と触感で「質の静けさ」を追求する。

いわゆるラグジュアリーブランドではないが、AURALEE(オーラリー)は日本的なミニマリズムをもって、無言の高級を成立させてファッション業界人やファッション通を虜にしている。一方で、Brunello Cucinelli(ブルネロ クチネリ)は“人間主義的資本主義”を掲げ、倫理と人間性をラグジュアリーの根幹に据えるという、抽象レベルが高い理想を提示している。

ちなみに、Loro PianaはLVMHの決算で二桁成長ブランドとして明記され、派手さではなく内省的な美意識が、いま再びラグジュアリーにおいて注目されていることがうかがえる。

参考
・McKinsey & Business of Fashion, The State of Fashion 2024
・Bain & Company, Luxury Goods Worldwide Market Study, Spring 2024 Update
・LVMH, 2023 Annual Results Report

ラグジュアリーの構造変化は、単なる消費の問題ではない。ブランドの在り方が問われているように、私たち自身の「服との向き合い方」もまた試されているのではないか。何を身に纏うかは、もはやステータスではなく思想の表明だ。ここからは、かつてロゴドンの魔力にハマったこともある筆者が、ロゴを卒業して気づいたことや、心がけていることを4つ紹介する。

ロゴを卒業したら心がけたいコト1流行は社会の無意識の可視化と心得て読み解く

ロゴによる主張を卒業した男がまず養うべきは、服を通して「時代を読む目」であると考えている。スタイルとは、流行をなぞることではなく、その背景にある時代の空気を理解し、選択に意味を持たせることだ。ファッショントレンドとは、服を通して社会の心理が表れる現象である。The Row(ザ・ロウ)の静けさが求められるのは、情報に疲れた時代が“沈黙”を欲しているからだ。かつて Balenciaga(バレンシアガ)のロゴが支持されたのは、「分かりやすく主張したい」という欲望の高まりに応えた結果だった。つまり流行とは、社会が抱える欲望や不安の反動である。トレンドを観るとは、服を見ることを起点に、時代の呼吸を読むことだ。不況下では控えめが流行し、好景気には遊びが戻る。街の色や広告の語調、SNSの空気を読み解けば、社会が何を怖れ、何を求めているかが見えてくる。デザイナーは社会の翻訳者であり、服はその翻訳が形を取った言語だ。ロゴを卒業した男が養うべきは、服を深く観察し、その背景にある“時代の意図”を読み解く目である。

ロゴを卒業したら心がけたいコト2他人の評価に依存しない、美意識の軸を持つ

ロゴを卒業した瞬間、わかりやすい“正解”が消える。だからこそ、自分にとっての「良い」とは何かを定義する知性が必要になる。流行を観察したあとは、何を“良い”とするかを自分で定める段階に入る。Quiet Luxury(クワイエット・ラグジュアリー)が示したのは、控えめが美しいという一時的な正解ではなく、各自が“静けさ”をどう翻訳するかという問いである。Loro Piana(ロロ・ピアーナ)のカシミヤに触れたときの柔らかな緊張感、Brunello Cucinelli(ブルネロ クチネリ)が掲げる“人間主義的資本主義”という倫理、HERMÈS(エルメス)の職人技に宿る誇り。これらに共通するのは、価格やロゴを超えた“理由のある上質”だ。何をもって美しいと感じるのか。何をもって上質とするのか。その答えを持っているかどうかが、美意識の成熟を決める。自分なりの“正解”を持つこと。それが、他人の評価に依存しないスタイルの始まりだ。

ロゴを卒業したら心がけたいコト3肉体と精神を磨いて、好きな服を着こなせる土台を作る

ロゴで語らないと決めたなら、残るのは自分自身だ。どんな服も、着る人の体と心の状態を映す。体型や身だしなみがだらしない男にスーツが似合わないのは、少し前に“だらし内閣”と揶揄された政治家たちのモーニング姿を見れば明らかだ。反対に、どれほど理想的な顔立ちと体躯を持っていたとしても底意地の悪い言葉を吐く男が高級スーツを纏えば、それは豚に真珠でしかない。肉体を整え、姿勢を保ち、肌や髪を清潔にし、言葉や所作を丁寧に扱う。その一つひとつが、装いに説得力を与える筋肉である。トレーニングも、睡眠も、思考も、他者への気配りも、すべては自分という“服の土台”を鍛える行為だ。服を着こなす責任を果たすことが、格好良い大人への一歩となる。

ロゴを卒業したら心がけたいコト4美意識に絶対正義がないことを知る

どんな時代も控えめであることは美徳とされがちだし、最近の潮流の中ではなおさらロゴを掲げることは野暮だと捉えられやすいが、本質はそこではない重要なのは、“その選択に思想があるか”だ。Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)のモノグラムを誇らしげに纏う人がいる。貧困や差別を超えて成功を掴んだ黒人ラッパーたちが、ロゴを力の象徴として纏ったように、その人にとってロゴが“生き抜いた証”であるなら、それは誇示ではなく誇りそのものだ。かつて憧れ、努力の末にようやく手にしたブランドを身に付けることで、自分の歩みを確認し、自身を鼓舞しているとしたら?それを他人がどうこう言うのはナンセンスというもの。問題は、主張の有無ではなく、思想の深度だ。控えめな装いでも「流行っているから」という理由で選ぶなら、それは空虚だ。逆にロゴを掲げながらも、そこに物語と誇りが宿っていれば、それは“静けさ”よりも雄弁にその人を語る。ファッションにおける成熟とは、「ロゴ VS ノーロゴ」という二項対立を超えるものだ。

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