
1985年、Michael J. Fox(マイケル・J・フォックス)は映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、時代を飛び越える高校生マーティ・マクフライを演じた。それから6年後、29歳で若年性パーキンソン病と診断される。[1] 医師からは、俳優として働けるのはあと10年ほどかもしれないと告げられた。[2]
Directed by Robert Zemeckis
Shown from left: Michael J. Fox (as Marty McFly), Christopher Lloyd (as Dr. Emmett Brown)
診断後、フォックスは病気を約7年間隠した。酒量も増えた。[1][2] その後、病気を公表し、自分と同じ病気を抱える人たちのために動き始める。しかも2024年には、治療法が自分には間に合わないかもしれないという見方まで示している。[3] 自分が救われない可能性を知りながら、なぜ未来のために動き続けるのか。マイケル・J・フォックスという男の面白さは、そこにある。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』から6年後29歳、人気絶頂でパーキンソン病を告げられた
1985年夏のフォックスは、人気の絶頂にいた。テレビでは『ファミリー・タイズ』が人気を博し、主演映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も同年最大級のヒット作となる。[1] 小柄な身体でスケートボードに飛び乗り、デロリアンで過去と未来を行き来するマーティ・マクフライは、1980年代を代表する映画キャラクターになった。その6年後、映画『ドク・ハリウッド』の撮影中に左手の小指へ震えが現れ、1991年に若年性パーキンソン病と診断される。29歳だった。[1] 当時、医師から俳優として働けるのはあと10年ほどかもしれないと告げられたという。[2] 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で未来を行き来したスターが、現実では自分がいつまで俳優を続けられるのかさえ分からなくなった。ただ、診断を受けてすぐ病気と向き合えたわけではない。その後、彼は病気を隠し続けた。
Christina Vidal, Michael J. Fox
1993 Touchstone Pictures
Photo by Melinda Sue Gordon
File reference # 34824-534THA
診断を隠し、酒量を増やした日々病気を受け入れるまでに、7年かかった
診断後のフォックスは酒量を増やした。病気をどう受け止めればいいのか分からず、それまで以上に飲むようになったと本人が振り返っている。[2] 仕事では病気を伏せ、症状が出ていると悟られないように振る舞った。1998年に病名を公表するまで、約7年を要している。[1] 酒を断つきっかけになったのが、妻Tracy Pollan(トレイシー・ポラン)だった。ある朝、二日酔いでソファに倒れ込み、そばにはこぼれたビール、身体の上には幼い息子。そんな夫を見たポランから、この状態を本当に望んでいるのかと問われた。フォックスは後年、怒られることより、冷めた目で見られたことの方が怖かったと振り返っている。その日を境に酒を断った。[2]
スターの知名度を研究支援に使う7年間隠した病気を、今度は人前にさらした
1998年に病気を公表すると、翌1999年9月には米上院の公聴会に立った。[1] 約7年間にわたり、薬や手術、日常の工夫によって症状を隠してきたことを自ら説明し、パーキンソン病研究への公的支援拡大を求めた。それまで隠してきた病気を、今度は議会で自ら語った。俳優として得た知名度を、研究支援を訴えるために使い始めたのである。
2006年には、幹細胞研究を支持する政治広告にも出演した。広告で見せた身体の動きをめぐり、症状を誇張しているとの批判も浴びた。[4] フォックスが求めたのは、同情ではなかった。症状を隠さず公の場に立ち、パーキンソン病研究への支援を訴えるために、自分の知名度を使った。
有名人の寄付で終わらせなかった研究が進まない理由そのものを潰しにいく
2000年、フォックスはマイケル・J・フォックス財団を立ち上げた。[1] 難病を抱えた著名人が、自らの名を冠した財団を立ち上げる例はほかにもある。フォックスの財団が違ったのは、研究費だけでは解決しにくい患者募集やデータ共有まで支えたことだ。[5] その代表例が、2010年に始まったParkinson’s Progression Markers Initiative(PPMI)である。パーキンソン病患者や発症リスクを持つ人などを長期間追跡し、検体や各種データを集め、世界の研究者が利用できる形で共有してきた。2023年には、PPMI参加者1,123人のデータを使った研究が『The Lancet Neurology』に掲載され、異常なαシヌクレインを検出する検査で、パーキンソン病患者を識別する感度87.7%、健康な対照群を正しく陰性と判定する特異度96.3%を示した。[6] パーキンソン病を、症状だけでなく体内の変化から捉えられる可能性を示した。フォックスが発見したわけではない。フォックスと財団が整えたのは、研究者が長期データと検体を使える環境だった。
治療法を待つ側から、治療法を探す側へ自分には間に合わなくても、やめる理由にはならなかった
財団を立ち上げた当初、フォックス自身にも治療法への期待はあった。それから20年以上が過ぎた2024年、今後10〜15年で有望な解決策が生まれる可能性を語る一方、自分がそれを見るまで生きているかについては懐疑的な見方を示した。[3] 治療法が自分に間に合うかもしれないうちは、研究を支えることは自分のためでもある。フォックスは、自分には間に合わないかもしれないと考えるようになってからも、研究支援を続けている。パーキンソン病の症状はいまも続いている。俳優として得た知名度を生かし、研究のために資金と人を集めてきた。その先にいるのは、これから同じ病気と向き合う人たちだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で未来へ飛んだのはマーティ・マクフライだった。現実のマイケル・J・フォックスが変えようとしているのは、自分が見届けられないかもしれない未来である。
Michael J. Fox an his son Sam Fox
32nd Annual Actor Awards, Media Center, Shine Auditorium, Los Angeles, California, USA – 01 Mar 2026
この男をもっと知る一冊①『ラッキーマン』
29歳でパーキンソン病と診断された後、フォックスが何を恐れ、なぜ病気を隠し続けたのかを本人の言葉で読める回想録。酒量が増えていった時期やトレイシーとの関係、公表へ至るまでの心境も率直に綴られている。本稿で触れた出来事を、フォックス自身が当時どう受け止めていたのかまで知りたい人に薦めたい一冊だ。
この男をもっと知る一冊②『No Time Like the Future: An Optimist Considers Mortality』
病気と約30年生きたフォックスが、脊髄腫瘍の手術、転倒、老い、家族、死について綴った2020年の回想録。若い頃の診断と病気の公表までを描く『ラッキーマン』に対し、こちらでは年齢を重ね、身体の変化や死を以前より身近に感じるようになったフォックスが、この先をどう生きるかを考えている。今回紹介するのは日本語訳ではなく英語版。フォックス自身の言葉を原文で読みながら、本稿終盤で触れた現在の死生観まで掘り下げたい人に向く。
参考文献
- The Michael J. Fox Foundation for Parkinson’s Research「Michael J. Fox and Parkinson’s Disease: His Story」https://www.michaeljfox.org/michaels-story
- Fresh Air「Michael J. Fox Reflects On Life With Parkinson’s In ‘No Time Like The Future’」2020年12月21日
- The Guardian「’I hate it. It sucks. But it didn’t defeat me’: Michael J Fox on pity, Parkinson’s – and a potential cure」2024年2月2日
- The Irish Times「Apology to actor over illness ‘act’」2006年10月26日
- The Michael J. Fox Foundation for Parkinson’s Research「Our Mission」「Our Research Strategy」
- Andrew Siderowf et al.「Assessment of heterogeneity among participants in the Parkinson’s Progression Markers Initiative cohort using α-synuclein seed amplification: a cross-sectional study」The Lancet Neurology, 2023
































