
昨年、グラスヒュッテの地における時計製造技術180周年を迎えたグラスヒュッテ・オリジナル。続く今年は、同地で腕時計用ムーブメントの本格的な製造が始まってから100周年を迎える。そんな節目を折に、グラスヒュッテにおける腕時計製造の100年の歴史を、時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語を切り口に紹介していく発信がスタート。第一弾となる今回は、懐中時計産業から腕時計産業へと舵を切った歴史の始まりを紹介していく。また、記事末では8月に開催される100周年記念展の情報を掲載しているので、そちらも要チェック。
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グラスヒュッテにおける腕時計製造の始まり未曾有の経済危機を乗り越え、産業の中核を懐中時計から腕時計へ
第一次世界大戦の経済的影響により、ドイツでは多くの工業系企業が破綻へと追い込まれていた。そんな中グラスヒュッテでは、苦境にあった時計工場の生産力を結集し、懐中時計産業を立て直すため、終戦後の1919年にグラスヒュッテ・ドイツ精密時計工場(DPUG)を設立。この工場は協同組合として運営され、地域の時計製造に再び活力をもたらすことが期待されていた。
しかし、1920年代初頭にドイツを襲った、経験豊富な実業家でさえ予測できなかった未曾有のハイパーインフレーションが経営を直撃する。通貨価値は急速に下落し、インフレ前に80ペニヒで購入できたパンが、1923年には最大2,000億マルクにまで高騰。賃金は日払いとなり、労働者たちが手押し車に紙幣を積み重ねて持ち帰っても、家族を養うことが難しい状況だった。
当時のDPUGは、約3,000人の組合員を抱えるドイツ最大級の生産協同組合へと成長していたものの、売上は組合員の期待を大きく下回り、増大する負債を前に、経営陣に対する信頼は次第に失われていくことに。最終的に主たる債権者であったギロ中央銀行ザクセン(ザクセン中央振替銀行)は、1925年6月17日に破産手続きを申請した。
その後、およそ1年半にわたる複雑な交渉の末、破産財産はすべてギロ中央銀行本部(ザクセン中央振替銀行)の所有となる。同銀行はグラスヒュッテの生産拠点を守るため、1926年12月7日に2つの新会社を設立。需要が低下していた懐中時計に代わり、普及が進んでいた現代的な腕時計を、グラスヒュッテで初めて本格的に生産する決断を下した。これが、グラスヒュッテにおける腕時計製造の新たな出発点となった。
ちなみに、グラスヒュッテで最初に本格量産された腕時計は、レディースウォッチだったのをご存知だろうか。現在、その系譜を受け継ぐモデルのひとつが、グラスヒュッテ・オリジナルの「セレナーデ・ルナ」だ。伝統的な時計製造技術と現代的なデザインを融合したセレナーデコレクションの詳細は、ブランド公式サイトで確認できる。
腕時計製造100年の歴史を紹介する本シリーズの第二弾では、一人の若き弁護士がグラスヒュッテの品質基準を再定義し、的確な戦略によって競争市場における成功への道を切り拓いたエピソードを取り上げる。
新たな始まり-懐中時計から腕時計へグラスヒュッテの腕時計製造100周年を祝う記念展を開催!
今回の100周年を記念し、2026年8月8日(土)〜8月11日(火)の期間、銀座のニコラス・G・ハイエック センターの14Fにあるイベントスペース、シテ・ドゥ・タン ギンザにて記念展が開催される。ドイツ時計の真髄を垣間見られる貴重な機会となっているため、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

















