
昨年、グラスヒュッテの地における時計製造技術180周年を迎えたグラスヒュッテ・オリジナル。続く今年は、同地で腕時計用ムーブメントの本格的な製造が始まってから100周年を迎える。そんな節目を折に、グラスヒュッテにおける腕時計製造の100年の歴史を、時計産業に新たな章を切り拓いた先駆者たちの物語を切り口に紹介していく発信がスタート。第二弾となる今回は、一人の若き弁護士がグラスヒュッテの腕時計を商業的成功へと導いた物語を紹介する。また、記事末では8月8日(土)〜11日(火)に開催される100周年記念展の情報を掲載しているので、そちらも要チェック!
第一弾の記事はこちら↓
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現代も語り継がれるグラスヒュッテの英雄グラスヒュッテの時計産業を救ったのは時計職人ではなく弁護士だった!
前回の記事でも触れた通り、1920年代に未曾有のハイパーインフレーションがドイツを襲う。その経済危機を経て、グラスヒュッテがドイツの時計製造の中心地としての地位を維持するために残された選択肢は限られていた。1926年に破産申請をしたグラスヒュッテ・ドイツ精密時計工場の残された資産で設立された2つの姉妹会社、UROFAとUFAGにとっての成功は、急速に拡大する腕時計市場で確固たる地位を築けるかどうかにかかっていた。
その経営を託されたのが、当時38歳のエルンスト・クルツ博士。時計職人ではなく弁護士であったクルツは、最大の課題が認知度の低さであることをいち早く見抜く。当時、腕時計は懐中時計に比べて精度や信頼性で劣ると広く認識されていた。さらに、グラスヒュッテはこの新興市場においては後発組であり、まず卓越した腕時計を製造する地としての評判を確立しなければならなかった。
その目標を達成するにあたって、クルツは明確で一貫したマーケティング戦略を策定。それは、今日においていわゆるリブランディングと呼ばれる取り組み。「懐中時計と肩を並べる腕時計」というキャッチコピーは、グラスヒュッテの時計産業史上初となる近代的なマーケティングキャンペーン活動の指針となった。
彼はまた、強力なブランディングの力も理解していた。1935年に導入されたUROFA キャリバー58は、「Raumnutzwerk(空間効率に優れたムーブメント)」という名称で広告やポスターに登場。この印象的な名称は、伝統的な懐中時計のムーブメントで実証されていた工学原理を、はるかに小型な腕時計のキャリバーに巧みに転用した、革新的な構造を際立たせるものであった。この戦略は大きな成功を収め、キャリバー58はグラスヒュッテで生産されたそれまでのどの時計をも上回る商業的成功を達成した。
さらにクルツは、UROFAの最高級仕様のムーブメントに「Tutima(トゥティマ)」という品質保証を導入。ラテン語に由来するこの名称は「信頼できるもの」という意味を持つ造語だ。ギリシャ文字の「τ(タウ)」をあしらったその特徴的なシンボルは、すぐに広く認識されるエンブレムとなり、UFAGが組み立てた多くの時計の文字盤に描かれた。
エルンスト・クルツ博士は1945年まで両社を成功へと導き、ソ連軍の侵攻を前に西ドイツへと逃れた。第二次世界大戦終結後、UROFAとUFAGは国営のVEB グラスヒュッター・ウーレンベトリーベに吸収される形で、ブランドや関連企業が一つに集約された。クルツはグラスヒュッテに戻ることはなかったが、今日でもグラスヒュッテの時計産業を現代へと導いた、先見の明ある戦略家として高く評価されている。
【次回予告】
この連載企画「グラスヒュッテにおける腕時計 100年の歴史」の次回は、UROFA最大の技術的成果の一つを紹介。当時の時計製造にまったく新しい基準を打ち立てた革新技術について掘っていく。
新たな始まり-懐中時計から腕時計へグラスヒュッテの腕時計製造100周年を祝う記念展を開催。OTOKOMAE読者へのギフトも!
今回の100周年を記念し、2026年8月8日(土)〜8月11日(火)の期間、銀座のニコラス・G・ハイエック センターの14Fにあるイベントスペース、シテ・ドゥ・タン ギンザにてグラスヒュッテ・オリジナルの記念展が開催される。当日は、OTOKOMAEの本記事を受付で見せていただいた方に、オリジナルギフトをプレゼント※!ドイツ時計の真髄を垣間見られる貴重な機会となっているため、ぜひ足を運んでみてほしい。
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