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吉田茂と岸信介から学ぶ真の強さ。「戦い抜く勇気」と「負けを選ぶ勇気」はどちらが大切か?

吉田茂と岸信介から学ぶ真の強さ。「戦い抜く勇気」と「負けを選ぶ勇気」はどちらが大切か?

友人や家族とのすれ違いでも、ビジネスの局面においても、「正しく怒ること」と「大人として飲み込むこと」が衝突する瞬間がある。誇りを守りたい自分と、現実を見なければならない自分。その狭間でもがいた経験がある人は、きっと少なくないはずだ。そうした葛藤に直面したとき、拠り所になるのが歴史である。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるほどだ。今回は、戦後日本の舵取りを担った二人の政治家である吉田茂と岸信介が下した決断を手がかりに「戦う強さ」と「飲み込む強さ」について、筆者の実体験とともに考えてみたい。

戦後復興に貢献した吉田茂と岸信介が下した決断日本を前進させた“屈して実利を取る強さ”と“屈せず押し通す強さ”

あなたは、なにか理不尽に直面したとき、グッと飲み込み我慢をするという判断は弱さと思うだろうか。1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約。日本はまだ敗戦の混乱から抜け出せておらず、主権も制限されたままだった。その会議の場で文書に署名したのが、当時の首相・吉田茂である。条約は、日本に完全な独立を与える一方で、日米安全保障条約という名の米軍駐留の継続を伴っていた。表向きは主権回復。しかし実態としては、軍事的な従属関係を残したままの半独立だったと言ってよい。当時の新聞各紙の論調は割れており「形式的な独立だ」とする批判もあれば、「まずは国際社会に復帰すべきだ」という支持もあった。「なぜもっと強く交渉しないのか」「屈辱を飲み込むことが独立なのか」といった感情を抱えた国民を多くいただろう。その批判は当然であり、感情としてまっとうでもある。そんな賛否の渦中で、吉田は文書に署名して条約を締結した。屈辱的な条件であっても、まずは国家として立ち上がらなければならないと判断したのだ。交渉の席で感情的に突っぱねることはできたはず。だが彼はそれを良しとしなかった。理不尽を飲み込むことが目的だったのではない。「未来のために、いまは飲み込む」という戦略だった。

条約の締結から9年後、日本は高度経済成長の軌道に乗り始める。その下地をつくったのは吉田の決断だったと言ってよい。この決断は、国家を守るための“攻め”だったという見方もできる。

サンフランシスコ講和条約の調印式にて吉田茂が署名する一幕 写真:Mary Evans Picture Library/アフロ Photograph showing Shigeru Yoshida, the Japanese Premier, signing the Peace Treaty at San Francisco, 4th September 1951. This treaty, signed by 48 other countries of the United Nations, returned Japan her sovereign status, six years after the end of the Second World War. Colourised version of: 10220015 Date: 1951

一方で、同じ戦後の進路をめぐって異なる選択をしたのが岸信介だ。1960年、彼は日米安全保障条約の改定に踏み切る。吉田が「屈辱を飲み込んででも再建を優先した」とするならば、岸は「屈辱を跳ね返して誇りを取り戻すべきだ」と考えたと言える。アメリカとの対等な同盟を目指し、条約に双務性を盛り込んだ。その結果、岸政権は大規模な反発に晒され、最終的にはその混乱の責任をとって退陣することになる。しかし彼の改定によって、日本は形式上「守られるだけの国」から「ともに戦う国」へと位置づけを変えた。理不尽を飲み込んで実利を取る強さと、決して屈せずに戦い抜き誇りを取り戻す強さ。吉田茂と岸信介の選択は、方向こそ正反対であれ、本質的にはどちらも「日本を前に進めるための戦い方」だったと言える。

ホワイトハウスにて岸信介が日米安全保障条約に署名する一幕 写真:AP/アフロ Prime Minister Nobusuke Kishi signs the U.S. – Japan mutual security treaty on Jan. 19, 1960 in Washington, D.C. Left to right: Foreign Minister Fujiyama, Nobusuke Kishi, President Dwight Eisenhower and Secretary of State Christian Archibald Herter. (AP Photo)

岸信介のように屈せず戦い抜く強さを信じてきた私守るべきもののために、あえて理不尽を受け入れる必要を迫られた筆者の実体験

私は長く岸信介のように、屈せずに押し通して戦い抜く強さこそが正しいと信じてきた。ロンドンで暮らしていた頃は、自分の人種や国籍を理由に見下されるような場面に何度も遭遇してきた。そうした経験から、理不尽なことに対してはグッとこらえずに主張する姿勢がいつからか私の基本に。最近も仕事の現場で、白人の外部スタッフが、私の立場や背景を軽んじるような一言を放つという出来事が起きた。瞬間的に血の気が引き「なぜ私がこんな扱いを受けなければならないのか」「なぜ日本でもこんな思いをしなくてはならないのか」といった感情が溢れ、体の芯が冷たくなるような屈辱だった。その場で抗議し、相手に誤りを認めさせ、相手との仕事はすべてをなかったことにしたかった。それが正しい態度だと思っていた。

写真:近現代PL/アフロB1954”NB(Photo by Kingendai Photo Library/AFLO)

しかし、その場に居合わせた上司は、私の感情にしっかり耳を傾けたうえで、こう言った。「抗議はする。ただし、仕事は成立させる」戦うつもりでいた私は、最初は納得できなかったが、時間が経ち、頭が冷えるにつれて、上司の意図が見えてきた。彼は妥協したのではなく、私の尊厳を守りながら、同時にチームの未来も守ろうとしていたのだ。つまり、あれは「ただ屈辱を我慢して飲み込む」のではなく「守るべきもののために屈辱も飲み込む」という判断だったのだ。その瞬間、政治家を志す友人が過去に語っていた吉田茂のサンフランシスコ講和条約の話が唐突に蘇った。「屈辱を飲み込んででも、日本を立て直した。あれは尊敬に値する」当時の私はその言葉にピンとこなかったが、その感覚が今ではよくわかる。

写真:Everett Collection/アフロ Shigeru Yoshida was Prime Minister of Japan from 1946 to 1947 and from 1948 to 1954. During the Post-war occupation, he said that by being ‘good losers’, the Japanese might regain in peace much of what they had lost in the war. – (BSLOC_2014_15_134)

歴史を自らの行動の指針に「戦い抜く勇気」と「負けを選ぶ勇気」あなたはどちらの武器を抜くか?

歴史は過去の物語ではない。自分に置き換えた瞬間、行動の指針となる。岸信介のように屈せずに押し通して道を切り開く強さも、吉田茂のように理不尽や屈辱を飲み込んで道を拓く強さも、どちらも大切だ。重要なのは、状況ごとにどちらの武器を抜くか選ぶこと。生きていると、正しさと現実の衝突に直面する瞬間が幾度となくあるだろう。怒りや感情を押し出す判断は、自律や尊厳を守るためにときには必要な場合がある。一方で、我慢して飲み込む判断は、未来の成果や守るべきものを優先する行為として成立する。どちらも「弱さ」ではなく「強さ」だ。あなたの中で、今どちらの強さが優勢か。逆にどちらが欠けているか。どちらかの強さを取るか選ぶべき瞬間が訪れた時、自分が守るべきものや未来を見据えて選択してほしい。

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